最近この本を読み返してみて、また、
『ザ・ワーク - 人生を変える4つの質問 - 』バイロン・ケイティ著
も読み返してみて、学びになること、そして、
子どもたちとの関わりに必要な気づきを多く得る機会があった。
それはいまも進行形であり、気になったところを引用しながら、
少し考える時間を持ちたいと思って、これを書き始めた。
どこまで行くか、どうなるかはわからないが....。
この本の中に、こういう言葉がある。
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そもそも人は、基本的に価値観をもたざるをえない生き物といえるのです。
人は、価値感を通してしか世間を見ることは出来ないのです。
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これを見て、数多くあるキーワードから、
「価値観」をタイトルにつけることにした。
私の価値感からすると、嫌悪感を感じるニュースが、最近何度も出てくる。
東京パラ開幕まで1年 金メダル22個目標 共生社会へ取り組みも | NHKニュース
このニュースに触れると、イヤだな、そして虚しさを感じてしまう。
どうして、こういうことが、さもいいことのように、報じられるのだろうか?
それは、私の価値感から生まれる、「目標」への嫌悪感によるものであろう。
最近、「目標」という言葉が、嫌いなのである。
ひとつの道しるべだったらいいのだけど、最近「目標」が行き過ぎている。
この「目標」の背景にある目的は、
- 障がいのある人も、やればできるということを知ってもらう
- その人たちの頑張りを多くの人に知ってもらう
- 障がいのある人たちに希望と、活力をもってもらう
- 障がいのある人たちのスポーツの裾野を広げる
- 障がいのある人への理解度を高める
- 障がいのある人の支援や共存に関わる人を増やす
- 優劣はないということをりかいしてもらう
などなど、あると思う。
なのに、なぜそれが、金メダル22個(リオでは0個)なのだろうか?
メダル候補の個人名も出されている。
これで、
- 障害のある人たちへの理解度が進むのだろうか?
- 当該者に、過剰なプレッシャーとストレスを与えるだけではないのだろうか?
- この目標が達成されたとして、どんないいことが起こるのだろうか?
- そして誰が幸せになるのだろうか?
そんな中で、こんなニュースも出ている。
障害者意識調査 半数が「東京パラでも障害者への理解進まず」 | NHKニュース
障がいのある人の多くが、東京パラリンピックにネガティブであったり、
しょせん自分たちはメダル候補の人たちとは違うんだ、
という、気持ちをもっているという。
金メダルの数という結果を目標にすれば、わかりやすいし、
達成度も量りやすいから、そうするのだろうか?
目標が必要であれば、定量的な結果ではなく、定性的でいい。
- 参加した選手がみんなが自分のやってきたことを出し切って、悔いがないと言える状態でパラリンピックを終える
- その姿を見て、多くの人が感動する
- 障がいのある人への理解度が進む(これは何らかの尺度を持つのもいい)
ここまで書いたことは、これまでの経験から生まれた
私の価値感から生まれた思考を表現したもので、
いい悪いということにしたくはない。
こういうふうに思って書いてみても、
私として、これに対して何かをしようとは思っていない。
もし、何か行動するとすれば、自分の領域から離れることになるから。
やると苦しくなるだけだから、それはしたくないし、
自分の領域ではない思考をなんとかしようと考えても、
生み出せるものはほとんどないだろうと思っている。
次に、自分の領域、あなたの領域、神の領域について考えてみたい。