『武田邦彦の科学的人生論』(武田邦彦)を読んでみて、
なるほどそうなんだよねって、思えることがたくさんある。
これからの人生を生きるために、
私には、目的はあるけど、目標がない、
だから、いま平常心でいられるのだ、
ほんとうにそう感じている。
物心ついてから定年退職に至るまでの人生と、
いま、まったく違う生き方をしている。
いま、思えば、人生って目標だらけだったんだなと。
しかし、それは本来の人間の生き方とは違う気がする。
働くとはつらいこと? ② - SOL Cafe 『幸せの栖(すみか)』
ここで引用した幕末の庶民の生活を見る限り
目標に追われている姿はない。
それは、下記に同じくこの本から引用する
小学生の生き方に似ている。
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講義に出席するのも単位を取るため、
単位を取るのは大学を卒業するため、
よい成績がほしいのはよい企業に就職したいため…、
どんなことも目標があって、そのために行動している。
そんな生活習慣が、大学受験の時染みついてしまい、
いまでは目標がなければ毎日を過ごすことができない。
だから、
レポートも自分がレポートを書きたいから書くのではなく、
目標を達成するために書くのだから、期限は必要だし、
義務で書くことになるのでイヤになる。
小学校のころ、毎日、学校に行く目的は
「学校に行くこと」であって、
単位をとるためでも、卒業するためでもなかった。
おそらく中学校までそうだったかもしれない。
目的は「行為」そのものであって、「目標」ではなかった。
それが物心ついてから、「行為」に「目標」が必要になった。
そうなったとたん、勉強するのが億劫になったような気がする。
心のどこかで「こんな勉強をして何になるのだろうか?」
という疑問が消えない。
もし、人生の目標があり、
それが最終的に達成されることを目指したら、
100人中99人は挫折するだろう。
なぜなら、目標には競争相手がいて、
自分が一番優れているということはまずないから、
目標を達成することが難しい。
だから、100人中99人は挫折する。
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「目標は達成できないもの」
会社人生活で、それをいやというほど味わった。
達成できないのは、競争相手がいるからだけではない。
目標は果てしないから。
一つの目標を必死に達成すると、
それよりもハードルの高い目標が設定される。
私自身、ずっと目標達成をしてきて、
最後に、自分の力では及びようもないことで
目標をクリアできなかった。
実は、それも正確な言い方ではない。
目標はある意味クリアしたのかもしれないが、
それをするために、人間関係で忸怩たる思いをしたのである。
いまからすれば、そのおかげで
いまのSOLがあると感謝できるのだが、
当時はつらかった。
従来のやり方ではなく、視点や発想を変えて、
これまでやったことのない新しい意欲的なことに
チャレンジしようとすると、
その前には、巨石のようにゆるぎない壁が立ちはだかる。
その壁を何とかしようと躍起になればなるほど、
自分が疲弊し、人間関係も悪くなる。
正義を通そうとすればするほど、
すごい軋轢に苦しむことになる。
さらに、辛いのは、いい仕事をしても、
できて当たり前的な扱いを受ける。
優れた仕事が当たり前なら、
ちょっとしたミスで、大変な叱責を食らうことになる。
だから私は、武田さんの、この言葉に惹かれる。
小中学校くらいまでは、
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目的は「行為」そのものであって、「目標」ではなかった。
それが物心ついてから、「行為」に「目標」が必要になった。
そうなったとたん、勉強するのが億劫になったような気がする。
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これをやることによって、それをなしえよう!
そう思ってしまうと、辛くなる。
やりたいことを信じてやる!
すなわち、目的は、やるという行為であって、
結果を目標としないことが、肝腎だ。
私は、いまそれを肌感覚で理解できていると思う。
やりたいこと、好きなことという前提が必要だが、
ただやるということが、結局、結果を生んでくる。
何月何日までにどのレベルに!
そんなことはいらない、
今日が昨日より少しよくなっていれば、それでいい。
それがとっても幸せなこと!
私が、ご縁の杜で、この「幸せのフクロウ」と
自称するものを作ったのも、ふと出てきた発想で、
マッシーさんの作ったそれに近いものが、
そこに飾られていたから。
しかしながら、60歳までの人生で、それができたかというと、
それは、無理だったとしか言いようがない。
働いて生きるとは、そう簡単な話ではないから。
だから、今現在、企業の中で苦しんでいる人がどうすればいいのか、
それはわからない。
そういう人たちを何とかしようと思っても、
どうにもならない。
それが目的化したら、元も子もなくなる。
できることがあるとすれば、話を聴くことしかない。
だったら、
「子どもたちを育むを通して、みんなが
人間らしい豊かな人生を生きている幸せの栖」
の夢の実現に向かって、
いまをひたすら生きるしかないのである。