『反貧困』『湯浅誠著 岩波新書 2008年出版)からの学びの続です。
貧困状態に至る背景としての「五重の排除」
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第一:教育課程からの排除
この背景にはすでに親の貧困がある。
第二:企業福祉からの排除
雇用ネットからはじき出されること。
あるいは、雇用ネットの上にいるはずなのに(働いているのに)、
食べて行けなくなっている状態を指す。
非正規雇用が典型だが、それは、単に低賃金で不安定雇用というだけではない。
雇用保険・社会保険に入れてもらえす、失業時の立場も合わせて不安定になる。
かつての正社員が享受できていた、さまざまな福利厚生
(廉価な社員寮、住宅手当・住宅ローン等々)からも排除され、
されには労働組合にも入れず、組合共済などからも排除される。
その総体を指す。
第三:家庭福祉からの排除
親や子どもに頼れないこと。頼れる親を持たないこと。
第四:公的福祉からの排除
若い人たちには
「まだ働ける」「親に養ってもらえ」「子どもを施設に預けて働け」、
ホームレスには
「住所がないと保護できない」
その人が本当に生きて行けるかどうかに関係なく、
追い返す技法ばかりが洗練されてしまっている生活保護行政の現状がある。
第五:自分自身からの排除
何のために生き抜くのか、それに何の意味があるのか、何のために働くのか、
そこにどんな意味があるのか、
そうした「あたりまえ」のことが見えなくなってしまう状態を指す。
第一から第四の排除を受け、しかもそれが自己責任論によって
「あなたのせい」と片づけられ、
さらには本人自身がそれを寧面化して「自分のせい」と捉えてしまう場合、
人は自分の尊厳を守れずに、
自分を大切に思えない状態にまで追い込まれる。
ある相談者が言っていた。
「死ねないから生きているにすぎない」と。
周囲からの排除を受け続け、外堀を埋め尽くされた状態に続くのは、
「世の中とは、誰も何もしてくれないものなのだ」
「生きていても、どうせいいことは何一つない」
という心理状態である。
期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、
どこにも誰にも受け入れられない経験をくり返していれば、
自分の不甲斐なさと社会への憤怒が自らの内に沈殿し、やがては爆発する。
精神状態の破綻を避けようとすれば、
その感情をコントロールしなければならず、
そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。
しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、
その折り合いのつけ方は、一方的なものとなる。
その結果が自殺であり、また何もかも諦めた生を生きることだ。
生きることと希望・願望は、本来両立すべきなのに、
両者が対立し、希望・願望を破棄することで、
ようやく生きることが可能となるような状態。
これを私は、「自分自身からの排除」と名づけた。
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中でも、ショッキングなのは、第四の排除です。
制度はあっても、それを不正に利用する人の排除どころか、
自己責任や自助優先の旗のもとに、
本当に支援の必要な人をも排除している例医がたくさん書かれています。
国を守ること以上に、その国に住む人々を守ることのほうが、
はるかに大切なことであるはずなのに、.....。
それらによって、死ねないから生きている状態、
さらには、自殺が起こるのです。
ただ、草の根的に、「反貧困」の輪は広がっているようです。
その一つが、子ども食堂ですね。
子ども食堂について湯浅誠さんに聞いてみた 対象は?支援方法は? | NHK | News Up | 教育
湯浅誠さんのことは知っていて、講演も一度聴いたことがありますが、
これまで、あまり関心を寄せてはいませんでした。
それを機に、さらに、湯浅誠さんの本を2冊読んでみることにしました。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮った写真を適当に貼っています。