【学びの時間】「余生」か「誉生」か

『定年後』(楠本新著 中公新書)を読みました。

 

定年後は長いのです。

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60歳で定年退職して、日々の睡眠、食事、

入浴などの必要な生活時間を覗いて考えると、自分の自由になる時間は、

1日11時間と見ていいだろう。

ただ、75歳を超えると介助を受ける立場にもなるので、半分の5.5時間として、

平均余命の残りの10年を生きると計算してみる。

(11時間x365日x15年)+(5.5時間x365日x10年)は、ほぼ8万時間になる。

そのうちの黄金の15年は6万時間だ。

 

一方で、厚生労働省の資料で、

所定労働時間と所定外労働時間を合わせた年間の総実労働時間は、

2016年で、1783時間で、

1989年では、2088時間だったものが少しずつ減少している。

これらの数値から計算してみると、

21歳から60歳まで40年間務めた総実労働時間は、8万時間に満たないのである。

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この長い定年後の人生を、私は、定年退職前、

それもかなり前にすでに認識していました。

自分の人生を語る③ - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

 

でも、世の中の多くの人は、そうでもなさそうです。

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個人事業種は社会と直接的につながっているが、会社組織で働く社員は、

会社を通して社会と間接的に向き合っている。

しかし、退職して会社から離れると、

社会と何の関係も持っていないことが露呈する。

自分の名前を誰も呼んでくれないのも、その表れの一つである。

そして自己のアイデンティティに悩み、自分の居場所のなさに戸惑うのである。

定年後の世界には厳しい要素がある。

だからこそ今までの個人的な体験も活用しながら備えることが求められている。

しかし、社会につながらなくなることを

明確に意識している人は驚くほど少ない。

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私も、順風満帆な会社人生活を全うしていたとしたら、

驚くほど少ないの人の中には入っていなかっただろうと思います。

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私は、中高年以降に新たな働き方を見出した数多くの会社員を取材してきた。

彼らの多くは会社員人生から見れば、「挫折」と思えるようなことを経験して、

そこから生き生きとした働き方、生きかたを見出している人が多い。

具体的には病気を経験している人が多いことに驚いた。

また、リストラ、合併、左遷、

思いもよらない出向などの会社側の事情によって大きく揺れる人、

子どもの不登校、家族の介護、妻の病い、

家庭内暴力をきっかけに働き方を変えた人もいた。

友人や家族の死、阪神淡路の大震災がきっかけになった人も少なくない。

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私も、ある意味、健康を害したわけではないですが、

この中にある人生のの挫折を味わったのです。

だからこそ、「会社人」から「社会人」になろうと思い、

還暦以降の人生を、自分の本当の人生にしようと思ったのでした。

 

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<森村誠一氏の言葉>

60歳から70歳位はほんとうは、自分の能力が一番発揮される時期であって、

それが組織の都合により60歳くらいで肩をたたかれてリタイアする、

そして、その後の20年、30年は、何をしてもいい自由を選ぶのが「誉生」、

何もしなくてもいい自由を選ぶのが「余生」である、と規定する。

そして、「しなくてもいい自由」より、

「してもいい自由」を選ぶことがポイントで、

自分の一番したいこと、いままでしなかったけれど、

組織の都合や家族の都合でできなかったことをやる、

それが挑戦的であり、誉れである生ではないか。

 

<著者の言葉>

森村氏は「してもいい自由」の誉生に比重を置くが、

私は「しなくてもいい自由」の余生だって素晴らしいと思っている。

要は何をやってもよく、何もやらなくてもいい、

自らの個性にあった働き方、生き方をすればよいのだ。

大切なのは、退職後の一日一日を気持ちよく「いい顔」で過ごせることだ。

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私にとっては、本当の人生が始まったのだから、

「余生」は選択できるはずもありません。

だから、「誉生」をまっしぐらなのです。