【ベニシジミの独り言】夢は羅針盤

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今日は、ピッピのZoom読書会に参加した。

神谷美恵子著『生きがいについて』を読んでいる。

実は私は読んでいないのだが、ゆっくりと一つのフレーズについて考え、

対話していくというスタイルなので、読まなくてもついていける。

 

今日の前半で、この問いについて対話する時間があった。

 

 今思う「生きがい」とは?

 

この問いを見た瞬間に、私の中で出てきたことがある。

 生きがいとは緩いもの

出てきたものを語りながら付け加えていったことを書いてみる。

 

「これが生きがいだ!」というものがあって、それにのめり込んだとすれば、

それを失った時に、方向を見失ったり、落ち込んでしまう。

こう言った時、思い浮かぶのは、定年退職後のシニア男性の生き方、あり方。

会社人生、仕事が生きがいだと思い込んで(錯覚して)しまうと、

それを卒業した後の人生は余生になってしまいがち。

それでは悲しい。

 

「生きがい」とは、「ねばならない」のもではなく、緩いものだと思う。

 

大事なのは、「行く先」があるかどうか。

物理的な場所ではなく、人生の行き先、夢と言った方がよい。

大きいか小さいかは関係ない。

大事なのは、長いスパンで思い続けることができるかどうかである。

夢は変わってもいいが、死ぬまで、何らかの夢を持ち続けることである。

 

また、夢は、到達できるかどうかではなく、

方向を示してくれるものであるかどうかが大事。

人生の羅針盤と言ってもいいだろう。

 

毎日、羅針盤の針の示す方向に向かって進んでいると感じられること、

それが「生きがい」と言えるものではないだろうか。

 

いろいろと不都合や不具合は起こるだろう。

しかし、日々そんな生きがいを感じているとするならば、

起こったことには、きっと何か意味があると思えて、

前を向いて歩みを進めることができるだろう。

 

言い換えれば、「ここ、いま」を感じて生きるということなのであろう。