この本には、自分に自信を持つということが大事だと書かれています。
この本を読んで、「自信」について考えてみました。
そして、私はこれまで、「自信」というものについて、
誤解してきたことに気づきました。
私は手前味噌ですが、いろんなことが、人並み、
あるいは人並み以上にできるのではないかと思っています。
たとえば、最近はまっている切り絵も、
昨年のお正月に我流で始めましたが、
少なからぬ人から、すごいね、ステキだねと言ってもらえます。
しかし、私は、興味が湧いてやろうと思ったから、
それなりにできるのだと思っています。
この程度なら、やる気とそれなりの道具があれば、
だれにでもできると思っているし、その道の達人と比べたら、
「切り絵やっています」なんておこがましくて言えません。
その意味でも、あらゆることに中途半端だったとも言えます。
しかし、出来栄えはともかく、
自分がやりたいことを楽しんでいる自分がいることは間違いないのです。
自信とは、人と比べるものではないことがわかった今は、
私には自信がありますと言えます。
いや、正しくは、「私は自信です」という表現の方が適切です。
自信とは、自分を信じることだから、
私はいま、「自分を信じることができます」と言えるからです。
自信を辞書で調べるとこうなっています。
「自分の能力や価値などを信じること。
自分の行為や考え方を信じて疑わないこと」
では、「自信」について、
植松務さんがこの本の中で言われていることはなにか?
いくつか引用し要約してみます。(敬体は引用、常体は要約)
追えば追うほど失う自信
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とても残念なことですが、日本では「自信」とは「うぬぼれ」と言われます。
自分で自分を認めることが許されないと、
他人に認めてもらうしかないのです。
そうなると「人からどう見られるか」
「人からどう思われるか」で生きることになります。
しかも、日本では「比べる自信」を教えてしまいます。
人と比べて優劣を決める自信です。
この自信は、追えば追うほど自信を失います。
なぜなら、世界一にならない限り、かならず自分以上が存在するからです。
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「比べる自信」とは
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- 「ほら、○○ちゃんはできてるよ。だからあなたのできるよ。頑張って!」
- 「ほら、○○ちゃんはおとなしくしてるよ。だからあなたもおとなしくしていようね」
- クラスで何番の成績だ! 全国模試で何位だった!
- 運動でも、誰かに勝ったらうれしい。誰かに負けたら悔しい。
大人のなかには、その悔しさを成長に利用するために、
ことさらに「勝ち負け」にこだわって指導する人もいる。
手っ取り早い方法は、お金で自信を買うこと、自分のみを飾ること。
しかし、自分以上の金持ちは存在するので、
その人と自分を比べたとたんに自信を失う。
しょうがないから自慢するようになる。
過去の手柄や武勇伝を「かなり盛って」しゃべる人もいる。
自慢するよりも自分以下を作った方が速いことに気づく。
人を見下し、差別をするようになる。
誰かに置いていかれるのが恐いから、がんばる人の足を引っ張るようになる。
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比べる自信を追い求めていくと、権力・権威・メンツにこだわり、
しがみつくというのが、その体たらくなのだろうと思えます。
この本のあと、
『炎上社会を考える』(伊藤昌亮著 中央公論新社)を読みましたが、
ネットで炎上するのも、
このような構図で行き着いたところなのかもしれません。
比べない自信はどうしてつくるのでしょうか?
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たくさんの好きな事を夢中でやっているうちに、
だんだん自信もついてきます。
誰もと比べられない、自分以下も必要しない、
ほんとうの自信が身につくんです。
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学ぶことは本来楽しいこと。
勉強というと、どうも嫌いになるようです。
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「勉強したら将来の選択肢が広がる」という人もいます。
でも共通するのは「将来不幸にならないために勉強する」というように、
勉強を義務のように考えていることです。
「勉強は楽しいし、面白い、もっと知りたい!」
と感じている人は相当に少ないです。
まるで「ブロッコリーは嫌いだけど、体にいいから食べないとダメ」と
大人に言われた子どものように勉強をしています。
僕が高校を卒業したとき、卒業式の後、学校の門を出たところで、
「もうこれで一生勉強しなくてすむ!」と叫んでいた子がいました。
よっぽど、勉強を嫌いにしてしまっているのではないかと考えています。
だから、「勉強が嫌いだ」という君の気持ちもよくわかります。
本当は、勉強は「将来不幸にならないための義務の我慢」ではありません。
小さい頃は、調べるのも、知るのも、覚えるのも楽しかったはずです。
それがいつの間にか嫌いになってしまったのは、
学校の勉強との相性が悪いだけです。
だったら違う方法で学べばいいです。
それは「好き」を活かした
「やったことがないことをやってみる」という学び方です。
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そうはいっても、好きをやる、やったことがないことをやってみる、
って簡単にはできないことです。
周りの大人が、おおらかな目で見守り、支援することが大事なのです。