前回の続きです。
自分ひとりだと、何かいやなことを言われても、
「気にしない」「気にならない」
ようにすることは、なんとかできそうです。
しかし、自分が責められるのではないとき、
これが、そう簡単なことではないと思えるのです。
6月初めから7月初めにかけて学童保育で起こったことで、そう感じるのです。
6月初めに、本部の意思で新しい職員がやってきました。
その人によって、子どもたちはとてもつらかったと思います。
そのつらさを見て、もとからいる大人もつらくなりました。
子どもたちが学校から帰ってくると、玄関で、
「○○、いる?」って聞くんです。
「今日はいないよ」というと、
「やったー!」と大喜びです。
「二度と来てほしくない」という子もいます。
子どもたちに対するその人の一挙手一投足が、とても気になります。
最終的には、その人も自分の非を認める形にはなっていて、
先週は昨日の土曜日以外は、一度も来ていませんし、
今週もたぶんこないでしょう。
昨日は、私と二人で一日一緒でしたが、一応平和でした。
このように自分以外の人、特に子どもがつらい思いをするのを見て、
「気にしない」「気にならない」ということは、それこそ不可能です。
3次元的な解決法は、
「戦う」「逃げる」「我慢する」の3つだけでしょうか?
私には、もう一つ第3の道(第4というべきか)があると思います。
「向き合う」です。
ガンになったとき、ガンと「闘う」のではなく、
ガンと「ともにある」という生き方があります。
起こっている事実は変えられないのだから、
その事実を’「受け止め」て、対話するという方法です。
そうすることで、感謝が生まれてきたりします。
私も最近、『ありがとうの神様』を読んだり、
日々ありがとうと、心の中で言っています。
今回の学童保育のことも、一応の解決を見たわけですが、
それは、「向き合った」からです。
純粋さの軸と輪 - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
それはここに書いた通りで、
仲間とともに、信じる軸をブラさない
ということです。
自分ひとりでできることは限られています。
ひとりで悩まず、仲間と支え合うことが不可欠です。
その意味でも、日ごろから一人でもいいから、
助け合える仲間をつくり増やしていくこと、
それは、その人(たち)と楽しめる場を共有することだと思います。