『運転者』のあと、喜多川泰さんの本をさらに数冊借りてみました。
その一つが、
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』
偶然出会ったたくさんの必然
です。ここから二つ引用します。
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成功したいと願う若者は、「そのために何が必要か?」と問われれば、
「もっと努力しなければならない」と自分に目を向けがちです。
一方で、世間からすでに成功者と認められる人が、
「そうなるために何が必要だったか?」と問われれば、
例外なく、こう答えるでしょう。
「私の成功は出会いによってもたらされました。出会った方々のおかげです」
つまり、幸せも、成功も人が運んでくれるもの。
それだけじゃない。その人の持つ無限の可能性を開花させてくれるのも、
それにふさわしい人との出会い。
人生は誰と出会うかによって決まるのです。
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使命とは限りある命を、
永遠に続く何かに変えたいいと願う行為じゃとわたしは思う。
だから、自分の命の有限性を感じる経験を通して、
人は使命感に目覚めることができる。
自分の人生があと5年しかないかもしれないと本気で思ったら、
その5年でお金をたくさん残そうと思うかね。
大きな家を建てようと思うかね。
きっと思わんじゃろ。
それは命の有限性を感じたあとに、
その命を有限なものに変えようとする行為じゃからじゃ。
それをしようとする者はおらん。
自分の人生があと5年しかないかもしれんと本気で思ったときに、
人が考えるのは、
この限りある命を悠久の何かに変えたいという願いじゃ。
それが使命である。
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- 人生は誰と出会うかによって決まる
- 使命とは限りある命を、永遠に続く何かに変えたいと願う行為
この二つの言葉に触れたとき、
60歳を超えてから、すなわち、ある程度物質的に満たされ、
幸いにも家族にも恵まれたあとの人生の今、
「学童保育」に通い、
「ドリームマップ授業」に人一倍参加している、
その意味は、無意識ながらこういうことなんだろう
そう思えたのです。
もし子どもたちが、私と出会うことによって、
その後の将来に何らかのいい影響を受けて育ってくれたらと思えば、
それは、有限なものを悠久な何かに変えていくこと、
そういうことなんだろうなと感じられるのが嬉しい。