『それでも人生にイエスと言う』(V.E.フランクル 春秋社)より
味わいことばノート 99
<タゴールの詩>
私は眠り夢見る。
生きることが喜びだったらと。
私は目覚め気づく。
生きることは義務だと。
私は働く ー すると、ごらん、
義務はよろこびだった。
味わいことばノート 100
しあわせは目標ではなく、結果に過ぎない。
味わいことばノート 101
私たちが「生きる意味はあるのか」と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い
「人生の問い」に答えなければならない、
答えを出さなければならない存在なのです。
生きること自体、問われていることにほかなりません。
そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
こう考えると、おそれるものはなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
もう現在がすべてであり、
その現在は人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
すべてはもう、私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。
その時、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、
知るよしもありませんし、知る必要もないのです。