『教養を磨く』(田坂広志著 光文社新書)から学びます。
教養とは何か?
この本の最後にこう書かれていました。
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ただ様々な分野の書物を数多く読み、
該博な知識を身につけることが教養ではない。
何よりも、自信の中に、容易に答えの得られない「深い問い」を抱くこと。
なぜなら、その「答えのない問い」を問う力こそが、
真の「知性」であり、その知性の周りには、
自然に、個性的な「知の生態系」が生まれてくるからである。
されば、その「深い知性」に支えられたものこそ、「真の教養」に他ならない。
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自分自身が、「深い問い」「答えのない問い」を問うてきたとは思えないけど、
一つ言えるのは、どんな未来が来たら、多くの人が、
「幸せに生きている」と思えるのだろうかを、考えてきました。
このブログにも、「未来に起こったステキなこと」や
「ここいまタウン」とはどんなコミュニティかを書いてきました。
それができるようになったのは、歳を重ねてきたからでしょうか。
この本に、こんな言葉がありました。
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人は歳をとると、精神の若さと瑞々しさを失っていく。
もし、我々がそれが「思い込み」であり「迷信」であることに気がつくならば、
そこから確実に我々の中に眠る可能性が開花し始める。
そして、そのとき、「古い迷信」が消え去り、
21世紀の「新たな常識」が生まれてくる。
人は、永き歳月を歩み、人生の苦難を越えていくほどに、
精神は若く瑞々しくなっていく。
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20年前の仕事盛りの時より今のほうが
精神は若く瑞々しいと言えるかもしれません。
40代のときに、「働くとは何か」という問いは出てこなかったと思います。
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「エゴを捨てよと思って、エゴを抑圧しても、それは、一時、
心の表面から姿を消すだけで、必ずどこかで鎌首をもたげてくる。
では、その厄介なエゴに、どう処すれば良いのか。
その方法は、昔からただ一つであるとされている。
否定も肯定もせず、ただ、静かに見つめる。
(中略)
しかし、実は、この扱いにくく厄介な「エゴ」に処する、もう一つの方法がある。
それは、エゴを「大きく育てる」ことである。
例えば、企業に入社したばかりの新入社員は、
当初「同期の仲間に負けたくない」といった次元で小さなエゴが動く。
しかし、人間として成長するにつれ、
「この職場の仲間とよい仕事を成し遂げよう」
「この会社を世の中に貢献する素晴らしい企業にしよう」
「この産業を通して豊かな日本を実現しよう」
「この新技術によって、人類の未来を切り拓こう」
といった形で小さなエゴ「小我」が、
徐々に大きなエゴ「大我」へと成長していく。
もし我々が、その「大我」への道を歩むならば、
いつか我々は、古来語られるあの言葉が真実であることに気がつくだろう。
「大我」は「無我」に似たり。
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「少我」はあっても「大我」が見いだせないまま、50代を迎え、
人生の大きな試練に直面しました。
それによって、「一緒に働く人たちがやりがいをもって仕事ができるように」
それさえできればいいのではないかと考えるようになりました。
しかし、長年勤めてきた企業で働いている間に、
「働くとは何か」の明確な答えが得られることはありませんでした。
だから、定年退職後には、それまでの延長線上にない人生を歩もう。
第二の人生ではなく、本当の人生を生きようと、
おぼろげながら思っていたのです。
そしていまは、「夢」を持ち、
それに向かって、いま現在を生きているという実感があります。
そんないま、「エゴを大きく育てる」の意味が分かる気がするのです。
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ある暑い夏の日、ムカデが一生懸命に歩いていた。
すると通りかかったアリが言った。
「ムカデさん、凄いですね。百本もの足を、絡み合うことも、
乱れることもなく、整然と動かして歩くなんて、さすがですね」
その褒め言葉を聞いて、ムカデは、ふと考えてしまった。
「なぜ自分は、これほど上手く、百本の足を、絡み合うことも、
乱れることもなく、整然と動かして歩くことができるのだろうか」
そう頭の中で考えはじめた瞬間に、ムカデは、一歩も歩けなくなってしまった。
先ほどまで、何の苦もなく無意識に動かしていた足を
一歩も動かすことができなくなってしまったのである。
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これからは、頭でっかちにならず、自意識過剰になることなく、
自然体で過ごしていきたい、ただ、そう思うだけです。