「二分間の冒険」岡田淳のこの物語は、
悟という少年が、黒猫の形をした何かわからぬもの「ダレカ」に導かれ、
「この世でいちばん確かなもの」を探しに、一瞬で別世界に入っていく。
その別世界で「竜」を倒す物語。
この世でいちばん確かなものは、
悟の中では、竜、剣、パートナーのかおり、仲間と変わっていくが、
最後にたどりついた答えは「自分」。
それは、ダレカの意図したものであり、
自分を抱きしめて「見つけた」と言った瞬間に、
悟は、一瞬で、もと居た今に引き戻される。
今の時計は二分間しか進んでいなかった。
この世でいちがん確かなものは、確かに「自分」だろう。
自分以外に、自分で変えられるものはない。
そんな自分は、大事にされているだろうか?
そんな自分を、信じることができているだろうか?
学童保育に行って思うことは、
小1-2年生は、みんなが一人ひとり個性を持ち、
みんな違っているということ。
本当に違う。
みんなが個性をさらけ出しているから、
見ていて触れていて、それがよくわかる。
ドリマ授業に行って接してきたのは、小4、小6、中1の子どもたち。
3月には中3の授業もある。
昨年12月には、高2のドリマ授業も体験した。
学校の教室という、ある意味息苦しい空間なので、
学童の子とは比べられないが、
小学校低学年の強烈な個性は、高学年になると、
見えにくくなってきていると感じられる。
それでも、小4の子たちには、まだ無邪気さが多分に残っている。
小6でも、郊外の市区の学校の生徒には、幼さや無邪気さが残っている。
本来の個性が感じられる。
しかし、少ない経験なので何とも言えないが、都心の学校に行くと、
中学受験する子が6年生のクラスの大半を占めている状況がある。
ある意味人生の一大事が、小学生のときにやってきている。
学校で、この子たちは、とても疲れている。
それでも、夢をえがくときは生き生きしているが、
あまりやりたくない午後の発表の時間には、
心身の疲れが、表情や態度に現れているのが、
前から見ていてよくわかる。
自分をみんなの前に出すのは、億劫なのだろう。
授業の中で感じられるのは、個性を抑え込んでいる、
いや、そんな状況に身を置かざるをえないということ。
私が会社で働いていたとき、同僚たちは、
個々に接すると、みんなそれぞれ違っていた。
しかし、そこには良識というものがあり、
それに隠れて、会社の中では、本当の個性はよくわからなかったりする。
特に、全体として見たときに、みんな押しなべて似たり寄ったりだった。
自分もそうだったんだと思う。
人は、他人と競争し、選抜を経て、似たり寄ったりになる。
選抜にもれると、いわゆる「落ちこぼれ」になってしまう。
いま、そんな世の中なんだなと感じている。
大人の子どもも、拠りどころが、
いちばん確かなはずの「自分」ではなくなっている。
話しは戻って、この本の中で、私が気になっている未解決の問いがある。
何も解決しる必要もないが。
竜が最後に行き絶え絶えにいう言葉
「...のなぞは...不完全...だれだれにとって...いちばん...しかなものは...問わねば...」
この「不完全」が気になった。
この世でいちばん不完全なものは?
それも「自分」だろう。
この世でいちばん確かなものは「不完全な自分」。
一人ひとりが不完全な自分なのであれば、助け合えばいい。
あるべきは競争社会ではなく、共創社会。
助け合うには、一人ひとりが、「不完全な自分」を認めること。
たぶん、選抜された「勝ち組」も「落ちこぼれ」も
「不完全な自分」を素直に認めていないんだよね。
だからこそ、今日引用したTip 2140は、大事なのである。
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あきらめるってのは、放り出すとか投げ出すとか、
中途半端でやめるってことじゃないんですよ。
あきらめるってのは、明らかに見極めることなんです。
何かっていったら、事実を事実として、
現実を現実として、一切の期待を排除して、
あるがままに見るってことです。
(中略)
起きている出来事は、いつも言うように中立なんですよ。
ただ起きるように起きている。
そのことを
「こういうことが起きている」
っていうふうに潔く見極められなくて、
期待を持って見るから苦しみは倍増するわけです。
で、最終的には何をあきらめるかっていったら、
自分をあきらめるのが大切だと思うんです。
自分っていうのは、どれほどのものか、
いかに自分というものが取るに足らない存在で、
いかに自分ってものが無力で、卑小で、
本当にどうしようもないものだってことをね。
まず認める。
そして、別に特別なところなど何もなく、
本当にごく当たり前の一人の人間
なんだってことを見極める。
これが実は人間が成長するうえで、
すごく大切なことなんですよ。
ここに僕を含めて特別な人なんて一人もいないんですよ。
みんなごく普通の、ありふれた存在なんですよ。
自分もそうだったってことを認めるんです。
そうすると、自分に対して過度の期待も持たず、
地に足を着けた一個の人間として、
そこから始まっていくものがありますよ。
『一瞬で幸せになる方法(いまここ塾の教え)』
阿部敏郎
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