幸せとは忘却なり?

『生きがいとは』は、まだ書き足らない気がしますが、

また何かが出てきたときに続きを書くことになるでしょう。

 

今回は、今日感じたことです。

 

本日のToday's Tipに引用したのは、

イングリッド・バーグマンのこの言葉です。

 

「幸福の条件とは、
体が健康であって、
記憶力が悪いということである。」

 

ここでいう記憶力が悪いは、

過去に囚われないということだと思います。

 

グループホームの母から電話がかからなくなって

もう一週間になります。

 

10月14日に、娘の結婚式・披露宴があり、

岩国に母を連れに行って、終わってから送り届けました。

15日に、ホテルの部屋で朝起きたときには、

楽しみにしていた孫の結婚式なのに、

どこにいるのか、何があったのかを

すでに覚えていないのです。

 

16日には、電話がかかってきて、

「東京に行っていたような気がするけど、

帰ってきた今、財布もなければ、何にもない

ボケてしもうたのかもしれん」

と言っていました。

 

一人ではどこにも行けないのに、

本人は自分で帰ってきた気になっているのです。

要は、過去の自分といまの自分の状態を

区別できていないのです。

 

2-3日間は、毎日何度も何度も

「財布がない、保険証がない、....、ボケてしまった」

という電話がかかってきていました。

 

それが突然、音なしになってしまったのです。

認知症が進んで、電話のかけ方を忘れた、

私のことも忘れたのではないのかと心配でした。

 

わざわざ孫の結婚式に連れてきたということは、

認知症にとっていいことだろうと思っていただけに、

認知症が進むってどういうことよ、

という感じです。

 

こちらから電話すると、ちゃんと電話に出ます。

いま、みんなと一緒にコーヒーをよばれている

と楽しそうに言って、とても元気な声でした。

 

昨日ドリマ授業で丸一日電話に出なかったわけですが、

夕方みると、母からの着信経歴はありませんでした。

 

そして今朝電話すると、

やはりちゃんと電話に出て、

私のことも覚えているし、

またとっても元気そうでした。

 

あれだけ、夜も眠れないくらい心配だった

財布のこと、保険証のこと、家のこと、

そしてボケてしまったという情けなさ

が一切出てきません。

グループホームの生活を楽しんでいる感じです。

 

そして、聞きもしないのに、

「私はボケていない、しゃんしゃんしている」

というのです。

 

孫の結婚式と、東京の行き帰りがきっかけで、

過去への囚われをどうも手放せた感じなのです。

短期記憶もないので、

ほんとうに今という瞬間を

楽しく生きているように見えます。

グループホームを自分の居場所と思えていることで

未来に不安もないのです。

 

これって、老後としては究極の幸せなのかもしれません。