「幸せ」とは① 思いがけぬ出来事

ある本を読んで、「幸せ」とは? という原点の問いを出してみました。

 

それは、あくまでも、-【学びの時間】「幸せ」とは - というタイトルで、

学びから出てきた自分の想いを書く予定でした。

しかし、「幸せ」とは? を本当に考えさせられる出来事が、

突然起こってしまい、簡単に済まされる問いではなくなっています。

今この時点で、「幸せ」とは何かが、モヤモヤした状態のままです。

 

母には認知症があり、田舎のグループホームに入っています。

膝が悪く歩くのに難儀する状態ではありますが、

身体は元気で、短期記憶がないだけで、

私を含めて家族とのつながりの記憶は十分残っています。

 

幸せとは忘却なり? - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

このブログに母のことは何度も書いていますが、

ここに書いたように、私はある意味、母は、

とても幸せな老後を過ごしているのではないかと思っていました。

 

最期まで看取ってもらえるところなので、

このまま、とても面倒見のいいステキなグループホームで

ずっと過ごしていくものと思っていました。

しかし、そうはいかなくなるかもしれないのです。

そんな心配な状況になってしまいました。

 

一昨日、母は、夕食のお手伝いをした後に、

何かのはずみでしりもちをついたようです。

そのときは、それほどでもなかったらしいのですが、

翌日、骨盤の恥骨、座骨などが3か所骨折していることがわかりました。

その診断が国立病院で下されたのですが、

そこはコロナのクラスターが発生した病院で、入院できませんでした。

病院の手配で、幸いにも、かなり離れた旧郡部の病院に入院できました。

広島の妹が付き添いをしています。

 

今日午前中に、母が入院した病院とグループホームの責任者に

相次いで電話してみました。

 

入院は約2か月、1ヶ月はベッドで寝たままとなり、

1ヶ月半から2か月後に、必要な場合は、

別のリハビリができるところに転院しなければなりません。

そのまま骨が固まれば、動けるようになるということでしたが、

荷重がかかると骨が変形したり、

最悪の場合は、出血して命に係わるリスクもあるので、

安静が必要とのことでした。

面会もできないので、急いで帰っても、ほとんど意味をなしません。

 

一方、グループホームは、入院中は3か月の間は、部屋を確保してもらえます。

しかし、車いすもありですが、自分で立つことができ、

介助を得ながらでもトイレで排泄できることが条件となります。

ずっとそばについていることはできないため、

勝手に立って転ぶということもあるので、

車いすでしか生活できないというのも、難しそうです。

 

本人は、転んだことすら覚えていないし、

痛みもそんなに感じていないかもしれません。

状況は理解できないでしょう。

少なくとも1ヶ月は寝たままの状態になれば、

体力も落ち、認知症も進む可能性があります。

 

私には、今できることはありません。

状況にもよりますが、一か月後には一度帰省して、

次のことも含めて、いろいろやる必要があると思っています。

それまでは、信じて待つしかないのです。

 

母はケータイは持っているようです。

しかし、充電器を持っていかなかったので、

妹夫婦が充電器を取りに行って届けてくれることになっています。

グループホームにいたときは、毎日ワンパターンの電話がかかってきました。

これまでは、煩わしいなと思っていた母からの電話ですが、

今は、これからもかかってきてほしいと思うだけです。

 

起こった事実は変えられません。

コップの水のない方ではなく、ある方を見て、

感謝の気持ちを持ち続けるほかない、そう思うほかないのが今です。

 

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写真には、特に意味はありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮ったものを適当に貼っています。