【学びの時間・感じる時間】いいわけ、ねばならない、あるがまま

 

この本に書かれていることのなかで響いたところを、書き出してみます。

 

まずは、「素直」。

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「素直」の反対語は、頑固、ひとりよがりでは、しっくりこない。

「素直」の反対語は「いいわけ」であり、それは「嘘」でもある。

 

「いいわけ」には3つの要素がある。

 

一つは、「嘘」

  1. 「自分がやったのではありません」 = 嘘(自分がしたのに、そうではないと白々しく噓をつく)
  2. 「そんなこと知りません」 = アリバイを前面に出す
  3. 「それは〇〇か、誰かがやったのでしょう」 = 責任転嫁

二つ目は、「事態の過小化」 = 「たいしたことではない」 
  「いじめではなく、遊びでした」「虐待などではなく、しつ けでした」

 

三つめは、「認めたうえで否定する」 = 「それはそうですが、でも…」

  でも、「そうせざるを得なかった」.

     「そんなつもりではなかった」

     「本来の私ではなかった」

 

いいわけと嘘で壁を作ってしまうと、反省や内省が生じず、

どこまで行っても失敗の連続になる。

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「いいわけ」をしない!って思ってはいるけど、とっても難しいですね。


「感情の法則」

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  1. 感情は長続きしない
  2. 何か行動すれば、感情は薄れる
  3. 感情を繰り返し反復し刺激していると強化される

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歳を重ねることで、感情に左右されなくなってきた気がします。

そうではない人(いわゆる老害)も多いようなので、

とにもかくにも、ありがたい。

 

「ねばならない」

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「ねばならない」は、気がつかないうちに人の思考のなかにはびこっている。

自分のなかの「ねばならない」をひとつひとつ点検していくと、

案外それが根拠を持っていない事実に気づかされるはずです。

「ねばならない」をひっくり返すのが「事実」。

「ねばならない」は、「事実」を覆い隠す性質をもって知らず知らず、

人の脳を占拠している。

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最近は、ねばならないは、かなり薄れてきたなと思えます。

これまたありがたい。

 

最後は、「あるがまま」(以下引用)

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「あるがまま」の生活は、そもそも何でしょうか。

普通の人が普通にやっている日常が、とりもなおさず「あるがまま」です。

朝起きて歯磨きをし顔を洗い、朝食の支度をして食べ、

身支度をして仕事に向かう。

職場でもやるべき仕事が山積みになっているはずなので、

淡々とこなし、同僚とともに昼食をとり、終業まで仕事をします。

終われば自宅に帰り、夕食を準備して食べ、

夜はテレビや読書、家族との会話でくつろぎ、就寝します。

休日には家族と買い物に行ったり、子供のクラブ活動の試合を応援したり、

友人と釣りに行ったりと、さまざまな行動が待っています。

これが「あるがまま」の生活であり、非のうちどころのない生活です。

ちょうど公園の樹木が風に揺れ、雪をかぶり、春には芽ぶき、

秋には枯葉を落とすのと同じ「あるがまま」の振る舞いです。

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今の時代、こんなこと普通じゃないですね。

でも、自分に限って言えば、日々淡々と過ごしていけることを感じています。

そして、感謝しています。

 

朝惰眠を貪り、ゆっくりとあるパターンで約3時間を過ごして、

おもむろに、小学校である職場に出かけていきます。

通勤は楽々です。

行き帰りに読書し、お仕事が始まる前と後にも読書します。

お仕事では、毎日子どもたちから元気をもらっているのです。

夕食は、私と息子で降雨タイに用意し、家族3人で一緒に食べます。

お風呂もゆったりとつかれます。

これ以上ありがたいことはない感じです。

だから、何かあるといつも「ありがとう」を唱えています。

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう、.............