この本に書かれていることのなかで響いたところを、書き出してみます。
まずは、「素直」。
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「素直」の反対語は、頑固、ひとりよがりでは、しっくりこない。
「素直」の反対語は「いいわけ」であり、それは「嘘」でもある。
「いいわけ」には3つの要素がある。
一つは、「嘘」
- 「自分がやったのではありません」 = 嘘(自分がしたのに、そうではないと白々しく噓をつく)
- 「そんなこと知りません」 = アリバイを前面に出す
- 「それは〇〇か、誰かがやったのでしょう」 = 責任転嫁
二つ目は、「事態の過小化」 = 「たいしたことではない」
「いじめではなく、遊びでした」「虐待などではなく、しつ けでした」
三つめは、「認めたうえで否定する」 = 「それはそうですが、でも…」
でも、「そうせざるを得なかった」.
「そんなつもりではなかった」
「本来の私ではなかった」
いいわけと嘘で壁を作ってしまうと、反省や内省が生じず、
どこまで行っても失敗の連続になる。
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「いいわけ」をしない!って思ってはいるけど、とっても難しいですね。
「感情の法則」
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- 感情は長続きしない
- 何か行動すれば、感情は薄れる
- 感情を繰り返し反復し刺激していると強化される
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歳を重ねることで、感情に左右されなくなってきた気がします。
そうではない人(いわゆる老害)も多いようなので、
とにもかくにも、ありがたい。
「ねばならない」
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「ねばならない」は、気がつかないうちに人の思考のなかにはびこっている。
自分のなかの「ねばならない」をひとつひとつ点検していくと、
案外それが根拠を持っていない事実に気づかされるはずです。
「ねばならない」をひっくり返すのが「事実」。
「ねばならない」は、「事実」を覆い隠す性質をもって知らず知らず、
人の脳を占拠している。
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最近は、ねばならないは、かなり薄れてきたなと思えます。
これまたありがたい。
最後は、「あるがまま」(以下引用)
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「あるがまま」の生活は、そもそも何でしょうか。
普通の人が普通にやっている日常が、とりもなおさず「あるがまま」です。
朝起きて歯磨きをし顔を洗い、朝食の支度をして食べ、
身支度をして仕事に向かう。
職場でもやるべき仕事が山積みになっているはずなので、
淡々とこなし、同僚とともに昼食をとり、終業まで仕事をします。
終われば自宅に帰り、夕食を準備して食べ、
夜はテレビや読書、家族との会話でくつろぎ、就寝します。
休日には家族と買い物に行ったり、子供のクラブ活動の試合を応援したり、
友人と釣りに行ったりと、さまざまな行動が待っています。
これが「あるがまま」の生活であり、非のうちどころのない生活です。
ちょうど公園の樹木が風に揺れ、雪をかぶり、春には芽ぶき、
秋には枯葉を落とすのと同じ「あるがまま」の振る舞いです。
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今の時代、こんなこと普通じゃないですね。
でも、自分に限って言えば、日々淡々と過ごしていけることを感じています。
そして、感謝しています。
朝惰眠を貪り、ゆっくりとあるパターンで約3時間を過ごして、
おもむろに、小学校である職場に出かけていきます。
通勤は楽々です。
行き帰りに読書し、お仕事が始まる前と後にも読書します。
お仕事では、毎日子どもたちから元気をもらっているのです。
夕食は、私と息子で降雨タイに用意し、家族3人で一緒に食べます。
お風呂もゆったりとつかれます。
これ以上ありがたいことはない感じです。
だから、何かあるといつも「ありがとう」を唱えています。
ありがとう、ありがとう、ありがとう、.............