引き続き『覚醒のネットワーク』(上田紀行著 アノニマ・スタジオ)に
沿って学んでいく。
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「弱者ー強者」の固定された枠組みとしては。
健常者ー障害者、医者ー患者、教師ー生徒、先進国ー第三世界、
男性ー女性、人間ー自然、..... がある。
「強者ー弱者」の存在する社会は、レッテルを貼る社会。
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強者は、幸せな勝ち組なのかと言うと、どうもそうではないらしい。
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「弱者」を生み出している構造を見きわめ、
現実をありのままに眺め見て気づくのは、
「どうも世の中では弱者とされている方が強者とされているほうよりも
生命力にあふれているのではないか」ということ。
障害を持つひとの生きる輝き、子どものあるがままの自由さ、
第三世界の豊かさ、女性の力強さ、自然の大いなる力、.....。
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しかし、どうも世の中は、歪んでいるようだ。
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「いのち」の持つ生き生きとした力は、
現代の構造の中ででは余計なものとされ、軽視されている。
社会自体が生命を抑圧するような構造を持っている中では、
なるたけ生命力を抑圧し、
「いのち」の声を聞かないように努めたもののほうが「強者」となり、
「いのち」に素直なものほど「弱者」になるという現実がある。
しかし、その構造のおかげで、私たちの世界は根源的な「生きる力」を見失い、
明らかに病んでしまっている。
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そこから生まれてくる「気づき」がある。
「気づき」によって「運動」が生まれる。
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だから、その私たちと地球の病を癒す運動は、
いままでの旧型の政治運動、社会運動とは異なっている。
古い型の運動は「権力」を握っている「強者」を「弱者」が打倒し、
権力の座から引きずり下ろすことを目標としていた。
しかし新しい運動の目標の目標は、そうして表面的な関係の逆転ではない。
自分が権力を握って強者になろうとするのではなく、
この世界に強者と弱者を生み出す構造そのものを超えていこうとするもの。
なぜならば、弱者が強者に転じても、構造が変わらない限り、
その構造は常に新たな弱者を生み出さざるを得ないからであり、
もうひとつ重要なのは、現在の構造もとでは強者と見える側も
実のところ重い病に悩まされているからということ。
勝つか負けるかという戦いは、本当の勝利者を生み出さない。
その戦いの誘惑に打ち勝つことからのみ生まれる。
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ここで、頭に入れておく必要があるのは、
この本は30年以上に書かれたということである。
ここで表現されている「構造」は、
年を経て、さらに硬く固定化されてしまっているように見えるし、
それを克服する新しい運動も見えてきていない、
そんな気がするのは私だけだろうか。
写真に意味はありませんが、
リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、
散歩中に撮った写真を適当に貼っています。