【学びの時間】新年の問いを考える② 30年以上たった今だからこそ

『覚醒のネットワーク』(上田紀行著 アノニマ・スタジオ)

に沿いながら学んでいきます。

 

まずは、後ろから入ってみます。

新装復刊版のあとがきに、このように書かれています。

 

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「○○のせいで~~できない」という意識は、

残念なことに克服されていないどころか、

ますます強まっているように思えます。

 

「自分がいてもいなくても世界は変わらない」。

自分自身が無力だと感じる深い無力感も社会全体に広がっています。

そして、他者との、他民族との、他国との差異をことさら強調して、

「あいつのせいだ」と原因をすべて他者に押しつけ、

攻撃する暴力性も、また激化していると言わざるを得ません。

 

それは、インターネット空間で目に見える形で激化しました。

30年前にはなかったインターネットやSNS。

私たちがひとたびスマホを持ち、誰もがつながりを持てる時代になったとき、

そこにはとげとげしい言葉や、いじめが溢れるようになりました。

つながることで生み出される喜びや幸せがある一方で、

それは殻を破った自我の暴力が噴出する場にもなったのです。

 

そうやって、自分も不幸せになり、他人にも暴力を投げつけていく、

あるいは、自分自身を責めて無力感に陥っていく人たちを見ると、

とても悲しい気持ちになります。

 

そして、この本の使命はまだ全然尽きていないどころか、

いまこそたくさんの人たちに読んでもらいたいと心から願います。

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昨日読んだ『いまこそ、感性は力』(芳村思風・行徳哲夫対談 到知出版社)

にも、こういうことが書かれていました。

 

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考え方に支配されれば、詮ずるところ理性の奴隷となって、

血の通ったあたたかな心が消えてしまう。

極端になると、真理のためには、

人を殺してもいいという心情になってしまうわけです。

そこに理性の恐ろしさがある。

(芳村思風)

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この本(2010年出版)の前に、同じようなタイトルの

『いま、感性は力』(芳村思風・行徳哲夫対談 到知出版社)

というのがあり、これは1988年の出版でした。

 

この両方の言葉が、30年前に比べて、

いま、より大きな重みをもって迫ってきている感覚になります。

 

私のお仕事中に、日常茶飯事に聞かれるのは、

「これボクじゃない、ボクはやってない」

「○○が先にやった」

という小学校低学年の子たちが言う言葉です。

 

より程度のよくない言葉を吐き、我が物顔に行動する人たちが、

右側と左側の両極端において、大統領となる時代なのです。

振り子が振り切れるところまで来たという感じです。

 

では、自分に何ができるのでしょう?