【学びの時間・感じる時間】関係が実体をつくる

 

今日このの本を読んで、感じるところがあったので、書いてみます。

 

以前に、いまは「土の時代」から「風の時代」への

転換期に当たっているということを書いています。

【学びの時間】カレイドスコーピックな世界へ① 土から風へ - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)

言いかえると、西洋的発想の時代から、

日本的発想の時代への変化ではないかと、私には思えるのです。

 

この本の中にも、西洋的な考え方と日本の考え方の違いが、

とても分かりやすく表現されています。

 

著者は、こう言っています。

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関係こそが、実体をつくっていくという、この発想が日本の発想です。

世界に現れているものはすべて現象にすぎなくて、

その現象をつくっている関係こそが本質であるという、

そういうものごとのとらえ方が根底にあるのです。

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これではわかりにくいのですが、

死者の魂や神についての考え方を例に、日本と西洋の違いを説明しています。

こういう内容です。

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「死者の魂はあるのか?」 これは、西洋の思想です。

西洋では、「死者の魂はあります」からスタートします。

魂があると決まれば、それをどうするのかという話になるのです。

しかし日本では、あるないは、死者との関係性によるのです。

死者との関係を結んで生きている人にとっては、死者はいるのです。

死者の魂はともにあるのです。

死者と関係を結ばない人たちがいれば、

その人たちにとっては死者はいないということになります。

 

神様や仏様も同じで、

神様や仏様と関係を結びながら生きている人たちにとっては、

神様や仏様はいるのです。

キリスト教の神様についても同じです。

「キリスト教の神様と関係を結びながら生きている人たちにとっては、

そういう神様はいるのでしょう。

私はキリスト教の神様とは関係を結んでいないから、

私にとっては、その神様はいないのです」

ということになりますが、西洋では、そんなことは言えません。

「私はキリスト教の神様とは関係を結んでいない」

このことこそが問題だからです。

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著者は、自然についても触れています。

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自然も、共通する自然があるわけではないと考えてきた。

農民の世界からみえる自然、農民たちの関係からとらえたときの自然もあれば、

都市の人間たちがその関係からとらえていく自然もあるわけで、

このふたつの自然は同じ自然ではない。

ヨーロッパの発想だと、自然を客観的なものとしてとらえるから、

同じ自然になってしまうのですが、

日本の発想では、関係のとり方がいっぱいあるのだから、

自然は千差万別で、いろんな自然が存在するということになるのです。

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私は、今日この本を、散歩に行く電車の中でも読みました。

そのとき、これまでのところを読んで、出てきた言葉があります。

「寛容さ」です。

「関係が実体をつくる」という日本の発想には、「寛容さ」があります。

自然というのはこうあるべきだ、だから守らなければならない、

そうしないといけないでは、よくなるものもよくならない。

自分にとって良いことは何か、それは自然にとってどういう意味があるのか、

その関係を、常に考える必要があるのです。

そう考えました。

 

その後読んだ箇所には、自然との関係についてこのように書かれていました。

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個人の権利という発想から物事を考えていくのは、本当はダメなのです。

「個人固有の権利」ではなく、むしろ、

「どういう関係をつくったらお互いを尊重し合える社会ができるのか」

を考えないといけないし、人間どうしでも

「どういう関係をつくったら、

差別されたり不当な扱いを受け売人がいなくなるのか」

を考えないといけない。

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最後に著者が語っているのは、

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僕たちにとって必要なことは、

さまざまなかたちで発生する役割を引き受けることにあるといってよい。

自分にどんな役割があるか。

その役割はいろいろあって、なかには一瞬で終わる役割もあります。

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一瞬の役割については、

「ビルに入ろうとしている車椅子の人のためにドアを開ける」

という例を出しています。

 

さらに、こう語ってます。(要約)

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  • 役割には大小あるが、一つ一つの役割を引き受けていけばいい。
  • 西洋がつくった、自分が主体的に変革の思想をつくっていくのがよいという思想は、誤りだと思う。
  • 自分から主体的変革プログラムをつくったら、人間は失敗することのほうが多い。
  • 自分が変革プログラムをつくって、それを他人に押しつけていく。もし自分に力があれば制度的にやっていこうとする。それが世界を壊してきたということに、もう気がついてもいい頃。
  • そうではなくて、自分の役割を発見する。役割がみつかったら、小さな役割から大きな役割まで、役割をこなすことが大事。
  • 役割をこなしていくときに、社会と対決する必要性が出てくるなら、「本当にちゃんとした社会だったら、こんなことはしなくてもいいんだよね」と思いながら、でもそういう悲しさも引き受ける。それも役割をこなすということ。

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役割を引き受けるとは、

誰かが必要としていることをやるということなんだろうと思います。

 

<余談>

私は、「魂」について、かつてこんなことを書いていました。

これすごくない?って思ったので、忘れないようにリンク張っておきます。

【学びの時間】魂とは何? そしてどこにあるの? - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)