【学びの時間】「いじめ」を考える② 誰のためのいじめに対する措置なのか

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いじめに真剣に取り組んでいる人の本です。

 

この本を読んでわかるのは、いじめとは何か、

いじめに関する法律はあるのかについて、

まずは、知らないと始まらないということです。

 

この本の著者曰く、多くの教育関係者が「いじめ防止推進法」を

読んでない、あるいは軽んじているのです。

 

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自力で校内のいじめを解決する能力のある学校ならば、

保護者が私に相談する前に解決しているはずである。

よって、私がかかわる学校の学校長や教員たちは、

いじめに関して無策であり、能力にも欠けている。

さらに学校の上位組織である教育委員会の指導主事までひどいとなると、

こちらも暗澹たる気分になる。

彼らは一様に、起きている出来事が、

「いじめ」かどうかは我々が判断すると主張する。

「いじめ防止推進法」やガイドラインにいじめの定義はあるが、

具体的に判断するときは、それぞれの解決があるはずだというのだ。

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「いじめ防止推進法」

いじめ防止対策推進法(平成25年9月28日):文部科学省 (mext.go.jp)

この法律の目的は、こうなっています。

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 第一条 この法律は、いじめが、いじめを受けた児童等の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、その生命又は身体に重大な危険を生じさせるおそれがあるものであることに鑑み、児童等の尊厳を保持するため、いじめの防止等(いじめの防止、いじめの早期発見及びいじめへの対処をいう。以下同じ。)のための対策に関し、基本理念を定め、国及び地方公共団体等の責務を明らかにし、並びにいじめの防止等のための対策に関する基本的な方針の策定について定めるとともに、いじめの防止等のための対策の基本となる事項を定めることにより、いじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進することを目的とする。

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法律なので難しく書かれていますが、

文科省の「いじめ防止」に真剣に取り組もうとする姿勢が表れています。

 

いじめの定義

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第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

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冒頭に引用した学校・教育委員会の姿勢に対して、

著者はこう言い切っています。

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被害者がほかの生徒からの行為によって「心身の苦痛」を感じているならば、

それはどんなものであれ「いじめ」なのだ。

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少なくとも、「いじめ防止法」の第一条と第二条だけでも認識していれば、

「いじめかどうかは私たちが判断する」なんて言えないはずなのです。

 

学校設置者には、いじめ防止等のために必要な措置を講ずる責務があるとされ、

学校及び学校の教職員の責務として、こう記されています。

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第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

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「いじめ防止推進法」はそんなに長くないし、大事なことは、

前半分くらいに書かれているので、確認しながら読んでみました。

いじめを防止するために必要なことは、しっかり書かれています。

しかし、いじめがあったときどうしなければいけないのか、

ここに疑問が残ります。

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(いじめに対する措置)

 第二十三条 学校の教職員、地方公共団体の職員その他の児童等からの相談に応じる者及び児童等の保護者は、児童等からいじめに係る相談を受けた場合において、いじめの事実があると思われるときは、いじめを受けたと思われる児童等が在籍する学校への通報その他の適切な措置をとるものとする。

2 学校は、前項の規定による通報を受けたときその他当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずるとともに、その結果を当該学校の設置者に報告するものとする。

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「いじめの事実があると思われるときは」という表現、

ここに「いじめの事実はない」と言える抜け穴がある気がします。

 

本来ならば、いじめの定義は明確で、

「当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」

わけだから、それに照らし合わせれば、

ほとんどの場合、「いじめがあったこと」を前提に、

真摯に取り組む必要があるということになります。

 

しかし、この本で紹介されている多くのケースは、

いじめがあったことを認めようとしない当該の大人たちの姿勢や、

隠ぺいまでしようとしたケースも紹介されています。

守られるべきものは、おとなのメンツや立場ではなく、

心身に苦痛を受けた子ども自身なのであるのは、

疑う余地はありません。

 

それなのに、自分たちの保身のために

嘘を嘘で塗り固めるということがあるとすれば、

それは許しがたいことです。

ウクライナに対するプーチンの姿勢と、

根底にあるものは、何も違わない、私にはそう思えます。

 

つづく