たまたま読んだ「諦め」について書かれたこの本は、
「夢」について考える時間をつくってくれた。
諦める対象は二つあるという。
- 「目的」を諦める:大きな方向転換、あるいは目標・計画が甘かったということ
- 目的に向かう「方法」を諦める:方法を変えない限り目標達成が困難と判断
考えてみても、私自身「諦めた」という経験を思い出すことができない。
これ以上の昇進はないなと思った時があるが、それは諦めではなかった。
実は、その時もっと大事なものを見つけつつあったから。
逆に言うと、そのころ「夢」「目的(ゴール)」そのものが、私にはなかった。
今はそれがある。
「夢」「目的」があり、その理由(Why)もある。
目的ができたからには、その目的を諦めるということは、考えにくい。
しかし、「方法」は、諦めないといけないときがある。
実はそれが、いま起きたというより、起きようとしている。
起きたとしても、そこから派生的に新たな展開が生まれてくるかもしれない。
そんな「一つの方法」の諦めはあったとしても、大きなご縁は揺るがない。
だから、そんな諦めは、前に向かって進むための軌道修正ともいえる。
著者はさらにいう。
---------------------------------------
「諦めた」ということのほとんどが、「憧れる」ことを諦めたにすぎない。
つまり、「思う」ことを諦めただけ。
とことん考えて綿密に計画を立てたものを断念するなら、
「諦める」ということができる。
ただ「やりたいなあ」と憧れているだけの段階では、
「諦める」ことは出来ないと、僕は考えている。
諦めたと口にする人の大半は、諦めるほどのレベルには達していない。
もしかして、だからいつまでも、「諦められない」状況が続き、
未練がましくなっているのではないか、と分析している。
-----------------------------------------
私の「目的」は、まだ「夢」の段階である。
だが、とことん考えた。
3年間3回連続してドリームマップを作って具体化していった夢だから、
「目」で見る「的」はかなりクリアになっている。
しかし、綿密に立てた計画などない。
そのレベルには達していない。
ゴールに至る道筋も見えてはいない。
しかし、流れがあるのは感じている。
「描く」「信じる」「伝える」をやったことで、流れが生まれた。
ご縁ができた。
その先にもご縁があると信じている。
今回生まれたご縁は、目的に向かう流れではないと感じたので、
それはあきらめざるを得ない、そう感じただけである。
たぶん、これからも綿密に計画を立てるということはないだろう。
計画した通りになることはまずない。
大事なのは、DoingよりBeingだと思っている。
Beingを大事にして、ご縁の流れに乗っていくだけでいい、
と、いまは思っている。
著者は、こうも言っている。
-----------------------------------------
幸福感というのは、仲間と分かち合うものではない。
自分の中で生まれ、外に出ていかない。自分の中で完結している。
同じ楽しさを味わっているように見えても、それぞれに満足度は異なる。
だから、パートナーと一緒に、家族みんなで、仲間と一丸となって、
と考えているとしたら、そこを注意すべきである。
「えっ、分かち合えないなんで、寂しい」とおっしゃるかもしれない。
そのとおり、人間は寂しいものである。
その本質を忘れようとして、集団の幻想が生まれる。
みんなで分かち合おうと、ネットで広く伝えようなどと考えない方がよい。
そういうものは、本当の幸福感とはいえない。
--------------------------------------
楽しさ、すなわちDoingとしての幸福感は分かち合えないかもしれない。
分かち合っていると思えるのは、そのときそのときの感情であり、
それは幻想か錯覚であるだろう。
一方、Beingとしての幸福感は、分かち合っていると思わなくても伝播する。
常に体から出ている波動だから。
著者は、夢について、こんなステキなことを書いている。
-----------------------------------------
「夢」という言葉は「人生の目的」に近い意味で使われる。
睡眠中に見る夢のことではない。
生きる目的は、自分の夢を叶えるためだといってもよい、
と僕は考えているし、これまでずっとそう考えてきた。
また、自分が思い描く夢に向かって、少しずつ近づいていく行為、
つまり、自分がやりたいことを実現する過程や状況を、
僕は「自由」と定義している。
自由とは、自分が思ったとおりに行動できる状態のことだ。
ということは、
「夢=人生の目的」が存在することが最も大事な第一条件であって、
それがあれば、そこへ向かってアプローチする行為が、
つまり「自由」となる。
また、それは同時に「幸せ」でもあるだろう。
たとえ、その道半ばにして人生の終焉が訪れたとしても、
その人は自由に生き、幸福だったことになる。
夢が実現するかどうかは、大きな問題ではない。
そこへ向かう過程に価値がある、ということだ。
------------------------------------------
ドリームマップのファシリテーターは、
一人でも多くの人がこのプロセスを通っていくお手伝いをする人、
これがこの本からいただいた新たな想いである。