府中でやっている「イエナプラン教育を語ろう」の活動については、
折に触れてこのブログにも書いています。
「イエナプラン教育を語ろう」という名称には、
発起人の方の熱い想いが表現されています。
私自身も、「イエナプラン」には以前から興味があり、
このような学校教育が日本でも広がっていくといいな、
と心から思っています。
ただ、私の想いは、イエナプランは手段であって目的ではないし、
手段の一つに過ぎないということです。
子どもが輝く場とは - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』 (hatenablog.com)
ここにも書いたように、私が目指すのは、
「子どもたちが輝く場」
「子どもたちがのびのび、イキイキできる場」
すなわち「ここいまタウン」
をつくろうということにあります。
だから、少しでも早く、どんなに小さくても、
「そんな場をつくるための実活動をしていきたい」
という想いが最近強くなってきています。
ただ、そんな場をつくるための大切なポイントは、
オランダのイエナプランの学校、日本のイエナプランの学校である
佐久穂町(長野県)の大日向小学校のなかにあるのも確かです。
だから、しっかり学ぶ必要があります。
「イエナプラン教育を語ろう」のメンバーから、
とてもステキなウェブサイトを教えてもらいました。
今回は、そこから、大切なポイントと感じたものをここに出していきます。
<コミュニティのなかで生きることから始まる教育>
https://www.honnoki.jp/blog_jena/archives/86
イエナプランスクールは子どもたちの経験を使って教育を始めるものだ。
子どもたちのグループの中で生きていることを出発点として教育をする。
<区切らない、つながった全体性の教育>
https://www.honnoki.jp/blog_jena/archives/457
「イエナプランって、子どもたちが一つの活動に取り組んでいる間に、
同時に色々な能力が発達するようにしているんですね」
イエナプランスクールは、授業時間を科目で区切っていません。
つまり、時限ごとの目標は、ある科目の、ある単元の、ある部分を学べば良い、
というふうには考えていないのです。
そもそも、時限ごとに区切る、科目という人工的に区切って分けた領域を決めて、
つまり、知識に境界線を引いていく、
そのことを考え直してはどうか、と言っているのです。
<生き方そのものの教育>
https://www.honnoki.jp/blog_jena/archives/636
イエナプランはメソッドではありません。
イエナプランは生き方そのものなのです。
五感を使って、この世界を感じながら生きる。
そんな生活をしていれば、自然とイエナプランになる。
イエナプランを学ぶことさえも不自然な気がしてくる。
<自分の考えを言葉に表す教育>
https://www.honnoki.jp/blog_jena/archives/534
今まで、自分たち自身が、
伝統的な画一一斉授業の中で受け身に学んできた日本の大人の大半は、
自分の考えを言葉にして表す練習をしてこなかったし、
誰か他の人から「なぜ」と問われる経験も少なかったことと思います。
<個の人格を尊重し、聴いて受け止める教育>
https://www.honnoki.jp/blog_jena/archives/515
そしてもちろん、子どもにも保護者にも、それぞれ自分たちの要望がある。
学校は子どもたちの要望に耳を傾ける。
子どもたちは、どのグループに行きたいか、
その理由は何なのかを言ってよいことになっているし、
どの友達と同じグループになりたいかも言える。
だから、新学年のグループ編成はなかなか難しく、まるで、
たくさんのピースがあるパズルを組み合わせていくような仕事になるのだ。
学校として、職員たちは、
全ての願望とそれを理由づけている根拠に耳を傾けることにしているが、
誰もの全ての願望を叶えることは無理なので、
文書にした説得力のある根拠に対してだけ本当に考慮するよと約束している。
この最後に引用した内容は、とても重いと思います。
親や子どもが自分の想いを聞いてもらえるということ、
それは、自分の存在が認められているからこそです。
しかし、すべてが通るわけではありませんね。
真剣に考えたうえでのNoであるからこそ、
どうしてNoなのかをしっかり伝えてもらえるということ。
これこそが、いま世の中で一番欠けている
ほんとうに大切なことではないかと思います。
さて、今日散歩中に、ヤマトシジミ(たぶん)がふらふら飛んでいました。
歩きながら、何匹(何羽?)も見ました。
このヤマトシジミから、何が学べるでしょうか?
もう11月、まわりに自然の野の花はほとんど咲いていません。
人工的な花壇の花があるくらいです。
一匹が止まったのは、こんな場所でした。
- なぜ、今の時期に、ヤマトシジミは生きているのでしょう?
- 越冬するのでしょうか? そうとは思えません。
- おなかがすかないのでしょうか?
- 今日はいい陽気で飛んでいたけど、寒い日はどうしているのでしょう?
- このチョウは何を考えているのでしょう?
- このチョウはこの先どうするのでしょうか?
- 何匹かいたということは、これから卵を産むのでしょうか?
いろんな問いが浮かんできます。
もし子どもたちと話したら、もっといろんな問いや答えが出てきそうです。
問いが立てば、答えを探すようになるということで、
ほんのちょっとだけ調べてみました。
こんなサイトがありました。
知らなかったことが満載、しかもわかりやすく。
これを見ると、理科(生物)だけでなく、どこにもつきものの国語、
算数、地理(どんなところにチョウがいるか)、社会(地球温暖化)などなど、
いろんな学びに発展していきそうです。
おまけのお散歩道端花図鑑(15)