『新格差社会』山田昌弘著に、
アルベルト・アインシュタインさんのこんなことばがあった。
「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、
なお残っているもの、それこそが教育だ」
これを読んだときに、なるほどと思ったんだけど、
いやそれは、アインシュタインさんや、
それなりに成功体験のある人が言えることなんだなと思った。
知識のすべてを忘れたとしても、それは認知能力の部分であって、
その部分を忘れたとしても、生きる力、学ぶ力、選択する力、決める力、....、
が残されているということではないかと。
そこがプラスであれば幸せなんだけど、それが残らない、残らないどころか、
マイナスになっているとすると、それも教育といえるのだろうか?
どうしてそれがプラスにできるのかは、
たぶん非認知能力が育ったからだといえるだろう。
教えて! 「非認知能力」ってなに? - NHK すくすく子育て情報
それは、「教育」とか、何とか言う前に、
人と人との関係性の問題だと思われる。
相手のことを考えるゆとりが一人一人にあるかどうかで、
接する相手、特に子どもの非認知能力の育ち方が変わるだろう。
そういえば、『「わかる」ということの意味』佐伯 胖著には、
こんなことが書かれていたことを思い出した。
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子どもは何といってもひとりの人間です。
私たちに対し、ときには「いやだ!」とか、
「ちがう!」とかの拒否を続けながらも、
自分自身を育て上げていく、ひとりの人間なのです。
(中略)
このような「わかろうとしている」子どもを理解するためには、
まず私たち自身が、ものごとをわかろうとしてみることが
必要なのではないでしょうか。
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最近感じることがある。
私たちが「おおらかさ」をもっと、もっと持つことができたら、
もっともっとステキな社会になるのにな。
そのためには、多くの人が、
「満たされている」と感じられるようになってほしい。
※ 10日ほど前にFacebookのSol Cafe ページに投稿したものを転記しました。