私にとっての自然体

私は、毎日、こんなことをして過ごしています。

 

平日の午後は、子どもたちの自主的な遊びをを見守る

放課後子ども教室の6時間のお仕事をしています。

 

午前中は、ほぼ同じようなパターンで午前中を過ごす毎日です。

習慣としてやっていることもあれば、ブランチも作ったり、

前日の残り物で食べたりするので、台所まわりの一通りの家事をします。

言葉を変えると、午前中は、ゆっくりと、

やること(その状況が私に求めていること)、

そして、やりたいことをやって過ごします。

 

やりたいことの一つが、子どもたちが写し絵をするためのお絵かきです。

子どもたちからのリクエストもそれなりに続いているので、

ほぼ毎日のようにアニメやゲームのキャラを描いています。

だた、平日の午前中は時間が限られているので、

じっくりと取り込む必要のあるやりたいことは、

週末にゆっくりやるようにしています。

 

通勤は、Door to Doorで片道約1時間です。

電車の待ち時間と、乗っている時間を合わせると、約40分くらいあります。

その時間は、ずっと本を読んでいます。

また、子どもたちが帰ってから1時間は学校を離れられないので、

スタッフが帰ってから、30-45分は自由時間があります。

その間、20-25分くらい本を読むようにしています。

毎日100分くらいの時間を読書に当てられるので、

ボリュームが多くない本であれば一冊読めます。

 

夕食は、2日に1回料理をします。

そのために、帰りにスーパーに寄って買い物をします。

また、片付けもきっちりやっています。

 

そんな毎日なので、ぼーっとする時間は、

お風呂に浸かっているときくらいでしょうか。

それ以外に、何もしない時間があっても、

それでいいと思ってそうやっているので、能動的な時間と言えます。

 

週末も、何の予定もなくても、やることとやりたいことで過ぎていきます。

天気がよければ、お散歩をし、写真を撮りますし、切り絵その他もします。

その成果は、誰も求めていないと思うけど、

職場である放課後子ども教室に貼っています。

 

所在なく、ただ流されている時間というものは、ほとんどありません。

また、やらなければいけないものもありません。

やらされていることもありません。

ねば、やらされを受動的というとすれば、

いつも何らかの内なる求めるものがあるので、

私の毎日は、能動的であるといえます。

 

いいことだけではなく、自分で嫌いな部分が出たりすることもあります。

それはそれで、またやったなと思って深くは考えません。

 

それが、私の自然体ということでしょう。

 

過剰に期待するもの(期待しないわけではないので「過剰に」と表現)もなく、

自分がやることで何かを成してやろうと思うことも少なくなりました。

自然体であるということは、「ここいま」にあるということだと思います。

過剰な期待で動いていないので、起こることのほとんどが期待以上になります。

そこで生まれてくるのは、感謝ということになります。

 

こんなこと言っても、実は、まだまだです。

起こることを感謝の気持ちで受け入れるという域には程遠いと思うだけに、

常に気づいて、意識を新たにすることが大事だと思っています。

 

そんな能動的で自然体でいられると感じられる日々を送ると、

身体の代謝も自然体だなと感謝することになります。

日々のお通じもいい感じだし、体重もほぼ一定です。

お風呂のときに毎日体重計に乗っています。

5月に入って、体重が1.0~1.5Kg減ってきています。

昨年の晩秋か年末には逆のことを感じました。

気温が上がって、基礎代謝が活発になってきているのだと思われます。

 

以上のようなことは、20年前に書けたかというと、それは100%ノーです。

今、能動的な自然体で生きられるのは、そのころの頑張りがあったから、

そして、大きな気づきが得られたから、そう思っています。

これもまた、感謝ですね。

 

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