期待するということの重さ

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今回「期待」について書こうと思ったのは、これらの本を読んだからです。

『あふれでたのはやさしさだった』は、以前に図書館で借りて読んで、

すごいインパクトとがあったので、買ってそのままにしていたものです。

それを今回読み、他の2冊の詩集も図書館で借りて読んでみました。

 

『空が青いから白をえらんだのです』奈良少年刑務所詩集 寮美千子著

に、こんな詩がありました。

 

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期待

 

ぼくは小さな頃から 母に

食事の仕方

テレビの見方

寝る時間

朝起きる時間

勉強の仕方など

すべてのわたって

いろいろ厳しくしつけられてきました

 

いま思えば ぼくの未来を思ってくれたことですが

その頃は「ぼくのことをキライなんやなあ」と思いました

 

「亡くなってしまった兄ちゃん姉ちゃんの分

あんたにしっかりしてもらいたくて

厳しくしたんやで」と母はいいます

 

母の期待を裏切らないようにしないと駄目だ

と思いながら必死で生きています

 

母のような気持が持てる親になりたいと

心の底から強く思いました

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悲しいほど健気です。

 

『世界はもっと美しくなる』奈良少年刑務所詩集 寮美千子著

に、こんな著者のコメントがありました。

 

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刑務所に入っている人はどんな人でしょうか。

 

「彼らはみな、加害者になる前に、被害者であったような子たちなんです。

極度の貧困のなか、親に育児放棄や虐待をされてきた子。

発達障害を抱えているために、学校でひどいいじめを受けてきた子。

さびしすぎる親から、拷問のようなしつけをされてきた子。

親の過度の期待を一身に受けて、がんばりすぎて心が壊れてしまった子。

心に深い傷を持たない子は、一人もいません。

その傷をいやせなかった子たちが、事件を起こして、ここに来ているんです。

ほんとうにやさしい、傷つきやすい心を持った子たちなんです。

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悲しすぎます。

 

同じ本から、詩とそれを書いた子のお話です。

 

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マリオネット

 

大人は

自分ができなかったことを 子どもに押しつける

子どもは

期待に応えようとして 自分を押し殺す

 

人は人形じゃない

子どもは操り人形じゃない

心もあるし 夢もある

 

大人が子どもの背中を押してあげれば

子どもはしっかり答えてくれる

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ぼくのは母は、地域のまとめ役で、僕はとても評判がよかったんです。

それというのも、ぼくが母の理想を実現するいい息子だったからです。

ぼくは、母の教育が優れているということを周知させる存在でした。

だから、いつも母の顔に泥を塗らないことだけを心がけてきました。

ぼくはとてもうまくやっていました。

ところがいつのまにか、上辺だけのからっぽな人間になっていたのです。

ぼくは人気を利用して人を騙しました。

卑劣な手段を用いて、親しい人々から搾取しました。

自分が不正を働きながら齢も煮を脅迫し、

弱いものは不正を受けながらも、ぼくに詫びなければなりませんでした。

そんな理不尽なことをしていたころのぼくは、

完全に理性を失っていました。

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これを読めば、何も言わなくてもよさそうですが、 思ったことを書いてみます。

 

「期待」の文字は、何かを押しつけるというのとは違うなと思います。

「時期を待つ」ということを表していると思えますね。

辞書でも、

「あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。

当てにして心待ちすること。」

 

となっています。

 

今の時代の「期待する」という状況を見るかぎり、

期待する側と期待される側の重さのバランスが、

根本的に違っていると思えます。 

それは、当てにする気持ちが強すぎるからではないでしょうか。

 

期待とは、期待される側に負担を強いるものではないはずです。

期待とは、期待を持つ方が、がんばるものだと思います。

なぜなら、親子の場合、期待される側は子どもであり、

期待する側は親だからです。

大人だったら、がんばれるはずです。

何をがんばるか?

それは、信じて待つということ、じっと我慢することでしょう。

 

しかし現実は、それが、できないから困るんですね。

親自身が満たされていないからです。

 

少年刑務所に入った子どもたちの詩を読むと、

明らかに親は加害者といえるでしょう。

しかし、その親もまた被害者だったのではないでしょうか。

 

現代人はみんなイライラしていますね。

みんなが自分を本当に大事にすることができれば、きっと、

世の中にある多くの問題はなくなっていくでしょう。