やればできる?

『壊されゆく子どもたち』水谷修著より

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私には教育の世界で最も嫌っている言葉がある。

それは、今でも多くの親や教育者が使っている「やればできる」である。

私は教師としても親としても、人間としても、

この言葉を一度も使ったことはない。

なぜなら、この言葉は嘘だと思っているからだ。

どんなに努力してもできないものはできない。

人には、それぞれ「分」がある。

つまり、人間の能力には限界があると考えている。

ただし、それと同時に、人間には無限の可能性もあると思っている。

ある若者は野球で素晴らしい才能があるかもしれない。

ある若者は高齢者へ優しさを配れる、

別の若者は野菜を育てることが得意などと、

人には必ず「分」としての才能がある。

若者たちそれぞれが、

このように「分」として持っている才能を最大限に伸ばすことこそ、

私は教育や子育ての基本だと考えている。

それぞれの若者たちが、

「分相応」の人生を幸せに生きる手伝いをすることこそ、

これが教育のあるべき姿だと考えている。

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分相応とい言葉には、向上心がないとか、何事もほどほどに、

と言ったイメージがあります。

でも、個を尊重し、それを活かしていくと考えれば、

それは幸せにつながります。

私は、会社人時代、分相応という言葉は好きではありませんでした。

でも、いまは、分相応に生きることこそが、

幸せに生きることだと思っています。

子どもたちの遊びを見ていると、

本当に、邪心のないそれぞれの分相応な遊びをしているな、

そう思います。

 

チョボチョボと言っている人もいます。

 

『教育の未来をつくるリーダーへ』 「教育研修」編集部・編

この本は、18人の人がそれぞれの想いを語っています。そのなかの、

「自分の頭で考える子どもを育てよう」出口治明著より

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厳しいことを言いますが、

「努力すればなんでもできる」などと言っている人は、

若いときに何一つ能力の限界までチャレンジしたことがないのではないですか?

たとえば、何かの運動部に入ってみれば、

「努力してもできない」ことが山ほどあるというのは、すぐわかりますよね。

チャレンジすることは大事ですが、

「努力すればなんでもできる」という精神論はまったく不毛です。

ありのままの社会の姿を教えることが必要ですよね。

「人間チョボチョボ論」ですよ。

人間はチョボチョボで変わりがないのだとすれば、

違うのは本人の気持ちの持ち方一つです。

前向きになれるファクトを教えてあげなければ。

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これを読みながら、ある光景が思い浮かんでいます。

それは後日書くことになるかもしれませんが、

「詰め込みはよくないですよ」という言葉です。

 

「本人の気持ちの持ち方一つです」と書かれていますが、

この「一つ」が簡単ではないんですね。

心に余裕がないと、チョボチョボでいいなんて思えなくなります。

「詰め込んで頑張らせる」ではなくて、

「成長を見守る」ことが大事なんだと思います。

 

 

こういう学びや気づき、想いを土台に、

ステキな未来をデザインしていくのが、

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興味のある方は、公開のグループではありますが、

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 写真は、特に意味がありませんが、

リンクしてシェアしたときに、写真があった方が見栄えがいいので、

散歩中に撮った写真を適当に貼っています。