自分では年だとは思っていないけど、
還暦を過ぎているので、一応、亀の甲より年の劫としておこう。
今の年齢だからこその特権をフルに活用している実感がある。
テレビを観ていても、ある意味、違和感だらけ。
なぜみんな、そんなにまでして競争しなければいけないのだろうか?
会社人時代がそうだった。
いかにシェアをあげて量を稼ぎ、売り上げをあげて利益を出すか、
言ってしまえば、それ以外の目標はなかったといっていい。
ハードルをクリアしても、より高いハードルが現れる。
それを定年までにやってきたわけだが、燃えつきはしなかった。
50歳を過ぎてきてから、
- 自分は何をやっているのだろう?
- はたらく目的とは何か?
矛盾を肌で感じながら、還暦後の本当の人生を模索していた。
それは、人生観の変わる試練のおかげ。
その矛盾から解放された今の自分は、競争社会の外にいる。
そんな外から見えると、今の社会の仕組みの中には、
- おかしい
- どうしてなんだ
- なんとかならないものか
そう思えることが山のようにある。
しかし、それをなんとかしようとは思わない。
自分には何ともできないもので悩んでも仕方がないから。
自分が苦しくなるだけだから。
問題を羅列したり、自分の意見を主張したりもしない。
なんともならないので、詮無きことだから。
しかし、より若い人と話をすると、
そんな社会の仕組みを何とかしようとして、もがいているのがわかる。
それを見るのもつらいが、それに対して、
「悩んでも意味ないから、やめておきなさい」
というのはおかしい。
その人が自分で悩み抜いて、自らそれを乗り切るしかないのだから。
長年まじめに働いてきたおかげで、
- それなりに、あくせくしなくてもいい境遇にあり
- 子どもたちも育ち、自立し
- いろんなしがらみから解放された
そこにある特権とは、
「好きなこと、やりたいことができる」
ということ。
だから、
- いまある、社会や他人の問題を何とかしようとは思わない
- 不自然なものは続かないのだから、自然に変わるのを待つ
- その兆しはあると実感している
- ただ待つのではなく、自分の軸をもち、自分の夢をもつ
- そして、それにかなうこと、自分にできることをやる
好きなこと、やりたいことだから、
何をやっても、それは夢に向かうプロセスということになる。
年の功の特権に、ありがとう!
(2018年4月小石川後楽園にて)