ライフワークとしての学童保育については、
何度もこのブログやFacebookに書いています。
ドリームマップについても、先日、これを書きました。
ライフワーク_子どもにとっての夢とは何か? - Sol Cafe 『幸せの栖(すみか)』
学童保育は毎日通い、ドリームマップもそれ以降も数が増え、
ここのところ毎週のように小中学校に行っています。
昨日も、西東京市の小学校に行きました。
私はなぜ、それらをやっていて、これからもやるのでしょうか?
先日読んだ本に、たぶんこれだよなというものがありました。
そして、今読んでいる本にもありました。
一つ一つシェアします。
『やさしさの教育 センス・オブ・ワンダーを子どもたちに』
露木和男著より
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田中智志氏は、その著書
「他者の喪失から感受へ ー 近代の教育装置を越えて ー」
の中で、ルーマン=ショルの言葉を引用しながら、次のように述べています。
教育システムとして、成績・学歴による子どもたちを選別し、
自他を比較する「虚栄心」をあおりたてながら、
他方で、人間学的ヒューマニズムに支えられて
「人間形成」「発達援助」をめざし、
「信頼」「友情」を育もうとしたからである。
つまり、教育システムは、
子どもたちに「絶えず相手を蹴落とす競争」をさせながら、
「みんなで高め合う共同体」をつくりだそうとしてきたからである。
教育システムの矛盾を指摘しているのです。
日本では、この矛盾に耐え切れずに、
教育に意義を見いだすことをあきらめた子どもや、
教育によって悲しい思いをしている子どもが
無数にいるという現実がはっきりと露呈しています。
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”教育システムは、
子どもたちに「絶えず相手を蹴落とす競争」をさせながら、
「みんなで高め合う共同体」をつくりだそうとしてきた”
この教育システムとしての矛盾は、その通りだと思います。
「学校はなぜ必要なのか?」
「現代の学校システムはなくてもよい」
そんなことを、過去ブログに書いてきました。
お化けにゃ学校も試験も何にもない!
それはそれとして、どうしたら子どもが、
子どもらしく成長していけるのか、考え続ける必要があります。
学童保育は、学校ではありません。
いま通う学童では、この精神を行動で示すことができます。
ドリマ先生も、学校の先生ではありません。
ドリマ先生たちは、子どもが主役と思って学校に行っています。
だから、今私は、
「相手を蹴落とす競争」ではなく、
「みんなで高め合う共同体」の精神に集中できているのです。