先週学童保育の関係で、国分寺市が主催する研修(講演)に参加しました。
『発達障害児童を他児が理解するための声掛けや手法』
参加してよかったと感じた講演だったので、
ここに記録としてとどめておこうと思います。
講師の先生は、
廣澤満之准教授(白梅学園大学 子ども学部発達臨床学科)
でした。
------(以下講演のメモ)--------
廣澤先生は、現在、小学校2年生の実子(長女)がいる一方、
里子もひとり(年長)育てている。
長女は、すごく手のかからない、また物わかりのいいおませな女の子。
一方、里子の子は、なぜ里子に出るのかという理由があるだけに、
情緒不安定だったり、その子の子育てはすごく難しいと言われていた。
また、全般の意見として、
- 保育園の待機児童が問題になり、これだけ騒がれている中、学童保育のことが全くと言っていいほど触れられていない。
- 国は、学童保育の重要性にしっかり向き合うときに来ている。学童保育の充実は、それだけ重要な課題だと考えている。
〔実際にあった保育園の先生の対応〕
発達障害の子が、ほかの子に「ガブ」をした。
- 「噛まれてしまい、申し訳ございませんでした」
- ほかの先生は、このように説明した。「○○ちゃんは、やめてと言いました。でも噛まれてしまい、その子に私から“いけないことだよね”というと、その子は“ごめんなさい”と言いました。○○ちゃんは、“いいよ、だいじょうぶ”と言って、そのあとは仲よく遊びましたよ」
<重要なポイント>
被害者と加害者をつくって、加害者に謝らせることは、NG。
なぜそれをしたのか、それをどうしてしてはいけないのか、
を双方がしっかり理解できるように話すことが大事。
〔エピソード①〕
講師が、海外で仕事をして帰国後に保育園を探しているお父さんと
話をしたときのこと。
「どういう保育園を探しているのですか?」と聞くと、
「障害児がいる保育園です」と答えたという。
それは、障害児がいる施設のほうが、子どもの社会性が高まるから。
その人が仕事で一時期住んでいた国(スウェーデン)では、
障害児がいる施設が人気だとのこと。
たぶん、日本は逆。
〔講師が若いときの、師匠の言葉〕
その子(発達障害児)が一番伸びるのは、周りの子どもたちが育ったときである。
〔障害のある子どもたちの、自己理解と悩み〕
- 年長(ADHD)の子は、「なんでボクは、人を叩くのかわからない」と思っていた。親や先生から怒られたとき、自尊感情が損なわれ、「ボクはいらない人間なんだ」という子もいる。
- PDD(広汎性発達障害)の子は、独特の論理がある。人と関わるのが難しい。自分が電車が好きだと、みんなもそうだと思って、一生懸命話すのだけど伝わらないと、「自分はちゃんと電車のいいところを説明できない」と思ってしまう。
- 一方、PDDでも、疑問を持たない子も相当数いる。他者と自分を比較しない(できない)ので、自尊感情は落ちないが、年齢を重ねるごとにそれが生活する上での課題になってくる。
〔子どもに絶対に言ってはいけない言葉〕
「なんで、いつも、あなたはそうなの」
この言葉は、その子の尊厳を傷つける。
自己が多面的な要素で成り立っていることを理解する必要がある。
- 子どもが安心する: 「ボクが悪かったわけじゃない」「障害とどう付き合っていこうかな」
- 親も安心する: 「私の育て方が悪かったわけじゃない」
- Advocacy Skill(権限擁護): 自分を語ること。日本は「頑張れ」が前提の社会だが、「助けて」と言える状況をつくることが大事。
〔エピソード②〕
発達障害の子が、故意ではないのに相手が○○君のせいだというと、
パニックになったりするので、ある小学校の担任の先生が、
子どもたちに、どうしてそうなるのかをしっかり説明した。
「そういうときには、騒いだりするのではなく、静かにすること、
そして先生に助けを求めること」を伝えた。
それで、子どもたちも理解して、小学校低学年を過ごすことができた。
多分、担任やクラスを替えないという、学校側の配慮もあったと思う。
その先生は、1-4年生まで受け持って転勤した。
そのあと、先生が代わりクラス替えもあって、
5年生で、再びその子は孤立して学校に行けなくなった。
5年生では、新しい先生がもう一度、
子どもたちにしっかり説明する必要があった。
〔性格への帰属への細心の配慮〕
- 「あいつはいつもああいう子」という、それはその子の性格という見方をし、それが集団で共有化されると、いじめが起こる。
- 集団による単一の特性化には配慮し、特性の多様性をしっかり念頭に置いて、子どもを見ていく必要がある。
- なぜそれをするのか?を考える。椅子がずれただけで、パニックになることがある。そのときに、○○君は、いつもきっちりしていないといやなんだよ、と伝える。理由を言葉化することができれば、子どもたちは納得はしないまでも、起こったことを受け止めることができる。
- その行動が悪いとか、悪くないとかは言わない。それを言うと、子どもたちの評価付けにつながる。大人は、決して評価者になってはいけない。子どもたちをしっかり見守り、子どもたちが理解できるように伝える通訳者であること。
- 被害者意識を持たせない
- その経験でよかったこと、成長したことを伝える
- その子をお荷物にしてはいけない。
- その子の存在が、周りの子の成長につながる。
- いやなことをする子はたくさんいるが、それは悪いことではない。
- それを前提として見守る必要がある。
- その子の存在が、子どもの社会性を育てることにつながる。
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講師が、実子、里子を育てている経験、
さまざまな子どもや保護者や先生との実体験に基づいて話しているので、
ここで言われていることには、説得力があり、すごく納得ができました。
さらに、ここで語られたことは、障害児のいるいないに関わらず、
子どもたちを預かる学童保育のあり方に、とても重要なことだと思います。
今の勤めている学童保育でやってきたこと、やっていること、
やろうとしていることは、ここで語られたことに沿っていると感じ、
自信と勇気をもらいました。