<Tip & Episode> ありかたの「たい」のススメ②

マズローの5段階欲求説では、

「承認欲求」が満たされないと「自己実現欲求」は満たされないので、

永遠にそれは満たされないだろうと思えてしまうが、

はたしてそうなのだろうか?

 

『さよなら、ストレス』辻秀一著に、こういうことが書かれてる。

 

---------(以下要約)--------------------------------

 

 辻氏いわく、人間の欲求には3つの「たい」がある。

  1. 結果の「たい」: 勝ちたい、儲けたい、うまくやりたい、手に入れたい、成し遂げたい
  2. 行動の「たい」: 旅行したい、シュートを打ちたい、食べたい、寝たい、観たい
  3. あり方の「たい」: 「○○でありたい」と表現したとき、自分自身にとってしっくりするものであれば何でもいい
  • 辻氏にとっての「あり方のたい」は、自由でありたい。
  • 私にとっては、満たされた状態でありたい、幸せでありたい、自然体でありたい、かな。

 

「結果のたい」と「行動のたい」は、

マズローの「社会的欲求」「承認欲求」に相当する。

それは、認知的なエネルギーなので、これで終わりということがない。

  • いつでも勝てるわけではない
  • いつでも寝られるわけではない
  • 勝ったとしても、また勝たねばならない
  • 旅行したとしても、また旅行したくなる

だから、欲求が満たされて終わることがない。

 

一方、自己実現欲求とは、

  • 生まれながらにして、すべての人が持っている生きる尊厳
  • すなわち、人間としての根幹的な欲求

なので、下位要求が満たされてはじめて、これが満たされるとなると、

ほとんどの人が、自己実現欲求を実現できないということになってしまう。

 

そこで辻氏は、この図のように、

自己実現欲求は生まれながらにして持っているものなので、

ほかの4つの欲求のいかんにかかわらず、常に存在している

と言われている。

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「あり方のたい」は、マズローの自己実現欲求に相当し、

その達成いかんにかかわらず、

そうありたいと考え続けることに価値がある。

  • いつでもどこでも「○○でありたい」と考え続ける
  • 「○○でいたい」というのは行動を伴う概念なので、あり方のたいとは違う
  • すなわち、「自由でいたい」ではなく、「自由でありたい」

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これは、なるほどそうだと思えても、「あり方のたい」は、

「社会的欲求」「承認欲求」が満たされていないと、

持ちづらいのも確かだと思う。

 

会社人を卒業し、社会人として生きようとして、

いまそれなりに「あり方のたい」は持てている

と思っている自分自身を見てみると、

基本的には、それなりに社会的欲求や承認欲求は満たされてきた

ということも事実としてある。

 

その結果としてあるのか、たぶんここに書いたことだと思えるのである。

solcafe.hatenablog.com

 

このテーマは、もう少し、考えて書いてみる必要がありそうだ。