最近、Facebookのタイムラインに、こう書いている。
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毎日何らかの好きをしています。
いや、好きじゃないことはしていない!
と言った方がいいでしょう。
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好きなことをすると満たされる。
どうしてなのかを、もう少し考えてみたい。
『さよなら、ストレス』辻秀一著にこんなことが書かれていた。
要約するとこういうこと。
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好きなことを考えると、気分がよくなるのはなぜか?
- 「好き」は自由だから
- 正しいとか間違いとか、優劣といった認知の土俵に乗りにくい自由な感覚だから
- エビデンスもいらない
- 誰かと比較されるものでもない
- 好きなものは好き!
- 相対的感覚ではなく、絶対的な感覚だから
しかし、好きなことをいくら考えても、
認知脳の世界では評価されることがない。
そんな世界にいると、「好き」を考える脳の習慣はどんどんなくなってしまう。
学校教育は認知脳を育てることが中心、
相対的評価の中で教育され続けていく環境。
- 算数が好きと言えば、計算問題をまずしなさい
- 国語が好きと言えば、漢字の書き取りは大丈夫か?とか
- 体育が好きと言えば、もっと速く走れるようにトレーニングをしなさい...
どれも悪気のある発言でもなく、間違いとは言えないが、
好きだからいいね、と言ってもらえることはないし、
好きだからという理由で、成績表に優がつくこともない。
認知の世界では、相対評価が重要なので、
好きなことよりも得意なことを考え、追い求めていく。
得意なことを見つけ、それを伸ばし、それで勝負し、評価を受ける。
これはまさに正解なのだが、
いつも比べられているので、心の状態はストレス状態。
自分が得意でも、もっと得意な人が必ずいるもの。
得意とは相対的なものなので、人と分かち合いにくい。
だから、フロー状態はなかなかやってこない。
みんなで、それぞれが得意なことを話し合おうと言っても、
フォローの風は吹かないが、
みんなで好きな食べ物の話をしてみようと提案すれば、
必ずその場にみんなのフローな風が吹く。
お互いに好きなことはシェアできるから。
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子どもらは
大事なものと
好きなこと
ただそれだけで
日々生きている
これも昨日タイムラインに書いた歌。
それが失われるとすると悲しいこと。
だから学童保育では、好きを目いっぱいやらせてあげたい。
ドリマ授業では、好きは夢の種。ここをもっと大事にしたい。
大人には、育自のための小さな魔法で、自分の「好き」を思い出してほしい。
なによりも、自分がいっぱい好きをすること。
そう思って、日々行動すると、どんどん満たされていく。