キッズクラブ戸倉では、木登りがブームです。
先日の木曜日に、特別支援学級の1年生が、
ほかの1年生が登っているのを見て、
「ぼくも」と言って登りました。
木の枝までは高いので、最初の取り付きと、
最後に下りるときは、介助がいります。
しかし、自力で登り下りしました。
翌日の金曜日には、さらに高いところへ。
初日あったちょっとおどおどもなくなり、
堂々と、ほぼてっぺんに近いところ、
3mくらいまで登って立ち、
足場をいろいろ工夫しながら下りてきました。
3回くらい登ったのを見て、すごいぞと思いました。
その少し前に、リヒテルズ直子著『オランダの共生教育』
という本から、こんな言葉を取り出していました。
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子どもは草木のようなものです。
一人ひとり、大きく育った時の姿は、違っていてよいのです。
子どもたちはそれぞれ、草花や樹木が土に根をはり、
太陽の光を求めて伸び伸びと育つように、
自分の発達にとって必要なものを取り入れ、
自力で育つ仕組みをビルトインされて生まれてきています。
私たち大人は、
生きるエネルギーに満たされた子どもたちが
何を必要としているのかを理解し、
草花に水を注ぎ陽射しを確保するように、
必要なものを提供できる準備をして、
見守り支えていれば良いのです。
ぺんぺん草あり、スミレあり、ヤグルマソウあり、
灌木あり、熱い真夏日には涼しい木陰をつくる大木あり、
そんな野原のような社会をわたしたちの誰もが、
心地よいものとして求めているのではないでしょうか。
セイタカワダチソウの野は、土も痩せ、生息する動物も限られています。
色とりどりの花や何種類もの木が茂る野の土は肥え、
動物もたくさんいるはずです。
人々が生きることに喜びを感じ、ほかの人びとを尊重し、
また他の人びとと協力して、
未来に向かって意欲的に働こうとする社会とは、
本来そういうものなのではないでしょうか。
子どもにとっても、大人にとっても、
「学ぼう」「働こう」という意欲がわくのは、
そういう社会に生きて、他の人びとのために役立てると実感でき、
また、他の人びとによって生かされていると実感できるときだと思います。
教育は、そのような「共生社会」をつくりあげるためにあるのだと、
強く思います。
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彼が木に登る前日、私がドリマでいなかった日に、
ちょっとしたハプニングがあったようです。
ほかの学童から応援に来ていた指導員が、
「危ないから、止めなさい」
「○○をしてはいけません」
を何度も何度も言うので、子どもたちから総スカンを食い、
いられなくなってしまったようです。
その状況もまた、最近読んだ
工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』
の中に書かれていました。
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ある行動は「問題」だと言わなければ、それは問題にはなりません。
そういった視点で子どもたちを見ていくことが大切です。
何かができなかったとしても、
それはその子にとっての発達の一つの場面での状況であって、
周りの環境を少し変えるだけで解決できることがあります。
子どもの発達はそれぞれです。
じっと座っていられないのが問題だとする「小1プロブレム」も、
椅子を変えてみたり、座る場所を変えてみたり、
座っている時間を変えることで、
全然問題ないということがあります。
むしろ「座っていなさい」と
叱られることで損なわれる自己肯定感について、
私たちは考える必要があります。
大人が作り出した問題(それは「幻想」かもしれません)で、
子どもたちやそれらを守らせようとする大人が
疲弊していくのは残念です。
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”大人が作り出した問題で子どもたちを縛る” と、
子どもだけでなく、大人も疲弊してしまいます。
それを受けて、その日の夜のお風呂で、出てきたことがあります。
Sol Cafe_幸せの栖のミッションの
「子どもを育むを通して...」
というのは、なんと尊大なことか、おこがましいことか、
ということです。
子どもたちは、自ら育つんです。
"子どもたちは自力で育つ仕組みをビルトインされて生まれてきている"
のですから、「育むを通して」ではなく、
「子どもたちが自ら育っていくのを支援することを通して」
こうする必要がある、ということです。
早速、ミッションを変更しました。
写真は、マンションの中庭のアオキのつぼみたちです。
中庭は北側にあるので、日当たりはよくないので、
耐寒性のある、そんな場所でも育つアオキが植えられているのでしょう。
小さなかわいらしい花がひとつ咲いているつぼみが
多く見られました。
みんな咲くとけっこう愛らしくかわいいんです。
それでも、まだ若いつぼみもあり、
それぞれ成長の度合いが違います。
そして、花一つひとつが、同じではなく微妙に違っています。
木登りが早くできるようになる子、
時間かけてできるようになる子、
それぞれです。
私たちが忘れてはいけないのは、
- みんな必ずできるようになるということ
- その機械を奪ってはいけないということ
だと思います。