私は、よい家庭に生まれました。
なので、交流分析でいう12の禁止令のほとんどが該当しません。
http://www.the-afterglow.com/?p=19 (こちらは13の禁止令になっていました)
とてもありがたいことです。
一方で、私は、とても自己中心的に育ったようです。
それなりに勉強もでき、優等生でもあったがために、慢心が生まれたのかもしれません。
約50年間、一見すごく順風満帆の人生を送ってきました。自分では勘違いの順風だったと思っています。しかし、それは無駄なことでは一切なくって、そのおかげで今があると感謝しています。
① 「内なるトビラ」に気づく
2008年秋、51歳の時、その数年前から続いていた試練のピークがやってきました。
詳しくはここでは書けませんが、家族のことです。
その時、ある一瞬で、人生の価値観や生き方が変わった出来事がありました。
その瞬間に「相手に期待しないで、自分のできることをやっていく」というふうに、自分の行動が変わったのです。
今から思うと、その時に自分の「内なるトビラ」に気づいた、ということなのです。そのおかげで、今があります。
② 「内なるトビラ」を開く
「内なるトビラ」に気づいて、行動が変わったあと、仕事でカナダに赴任しました。
カナダではとても貴重な体験をさせていただきました。楽しく実りある、かつ、矛盾するけど、会社人生で一番つらかった約3年の単身赴任を終えて帰国したとき、54歳になっていました。
会社人生は5年後に終わります。
その後、健康であれば、とても長い人生が待っています。
どれだけ長いかというと、これだけ長いんです。
http://solcafe.hatenablog.com/entry/2017/06/10/224613
会社を離れると、会社の人脈は、何もなかったかのごとく途絶えます。
会社の外に、まったく人脈がないのです。
会社でやってきた仕事は、会社があってこそです。
会社の枠を出たときに、自分に何ができるでしょうか?
帰国して半年ほどが過ぎた2012年5月19日に、自分で「内なるトビラ」を開けることになりました。それは、「会社人」から「社会人」へのトビラです。
③ 歩き続ける
1st Place(家庭)、2nd Place(職場)だけの往復から、そのどちらでもない3rd Placeに行き始めました。そこには、あるがままの自分を受け入れてくれる場所がありました。楽しくなり、いろんなところに出かけました。Facebookのおかげもあって、多くの人とつながり続けることができています。
④ ご縁のトビラが開く
自分の「内なるトビラ」に気がつき、それを開けて一歩を踏み出したおかげで、多くの仲間ができました。そのご縁で、「外なるトビラ(ご縁のトビラ)」が、数多く開いてきました。今も開き続けています。
3rd Placeがあるおかげで、自分の「あり方」が変わっていきました。
そうすると、家庭も円満になり、職場(自分の領域)もそこそこ楽しく働くことができるようになっていったのです。
⑤ 定年退職後
今年の8月いっぱいで定年退職を迎えました。
これからはセカンド・ライフではなく、自分の本当の人生(トゥルー・ライフ)だと思っています。自分の好きなこと、やりたいことをやっていくからです。
この5年間の間に、将来の夢もできました。だからワクワクなんです。
これまでやってきた「NPOはたらく場研究所 - 最高の居場所」の理事も継続中で、これからさらにより貢献していける状況になりつつあります。それに、「育自のための小さな魔法」や「ドリマ先生」が加わり、自前のSOL Café「幸せの栖」もやり始め、これからまた、活動は増えていくでしょう。
<育自のための小さな魔法との出会い>
2016年夏の終わりごろ、10月の最高の居場所フォーラム開催のための説明会と初期打ち合わせがありました。フォーラムで、「育自のための小さな魔法」のワークも実施することになり、山口ひとみさんが参加されました。育自の魔法の説明を聞いて、「なにこれ、自分のやりたいSOL Caféと同じだ!」と驚きました。特に、ライフラインは、かつて就活支援の活動でやっていたことでもあります。
SOLのやりたいことと同じ、そう思った私は、すぐに11月のPart1ファシリテーター養成講座に申し込んだのです。その会は、残念ながらキャンセルとなりましたが、今年の2-3月にPart1-3の養成講座を修了しました。
このブログは、「育自のための小さな魔法」のアドベントカレンダー投稿のために書いたものです。これで完結していなくて、続きはクリスマスイブの12/24日となります。