<Tip & Episode> 「ドリームマップ」「学童保育」をやることの意味②

「ドリームマップ)と「学童保育」 

私はなぜ、それらをやっていて、これからもやるのでしょうか?

昨日に続いて、もう一つをシェアします。

 

『子どもたちのかすれた声』長谷川博一著からの引用

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私は心理学の教育に携わるとともに、

カウンセラーとして人々の悩みを語る姿に接してきました。

実は、現在の社会体制の中では、教育者の役割とカウンセラーの役割は、

両立していくのが難しい部分があります。

 

「教える」という役割を果たしていく場合、

相手を制限したり導いたりして、

集団に合わせていくように働きかけることが重要になります。

しかし、カウンセラーは、子どもが集団に適応していくことではなく、

子どもが自分らしさを自分で認めていけるように援助するのです。

そのために、ひとりひとりの子どもたちに、長い時間寄り添いながら、

訴えを徹底的に聴いていこうと努めます。

 

今の大人は、とても大変です。

子どもたちがさまざまな問題を呈するようになって、

教育者であり同時にカウンセラーであるという、

矛盾する二つの役割を社会が求めるようになったからです。

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ドリームマップでは、 

すばらしい学校だなと思える学校にも接しています。

  • 子どもたちのあいさつがすばらしい、
  • 職員室へ入る時出るときの挨拶が、子ども離れしている、
  • 10分の休み時間で、授業開始の5分前に教室に入り、3分前に着席する、

などなど。

学校のスローガンのもとに、先生はがんばっています。

子どもたちもガンパっています。

その結果、

とっても気持ちがいいんです。

いい子たちだなと思います。

 

でも、違和感、ある種の気持ち悪さを感じます。

なぜなら、人はみんな違うからです。

外交的な人、内向的な人、さまざま。

外交的な人が良くって、内向的な人がだめじゃないんです。

人前であいさつできない子がいても、それじゃだめなんでしょうか。

 

そこまでではないにしても、学校には様々なルール、

表向きではない、先生独自のルール、指導の仕方があります。

学校では、多かれ少なかれ、個を殺して周囲に合わせることが求められます。

 

そんな中、多くの先生は、子どもたちのことを考え、がんばっています。

子ども一人ひとりをあるがままに受け止めておられる先生もおられます。

それでも、システムという学校は、①で書いた矛盾をはらんでいるのです。 

 

現代社会は、多くの人が矛盾を生きている場だともいえると思います。

矛盾って、言葉の成り立ちからしても、無理があるんです。

 

そういう矛盾から離れて、

小学校低学年の子どもたちがのびのびできる場が、

いま通う学童保育です。

 

いま通うと書いているのは、学童保育によっては、

そうではないところがあるからです。

 

学校システムの中で、

子どもたちの心に夢に向かっていく活力の種が芽生えることを願って、

子どもたちの自由な発想を尊重し、夢を描く楽しさを体験してもらう

小学校高学年、中学生へのドリームマップ授業。

 

  • 個を活かして、周囲を盛り立てる。
  • 個の弱点をそのまま出して、周りからの支援を得る。
  • 得意を活かして、苦手を補ってもらう。

子どもたちが、そんな大人になるための成長の場が、

いま通う学童保育とドリームマップ授業にはあると感じています。

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