ぼ~っと散歩の豊かな時間

葉っぱって、みんな違って、みんな美しいんです。

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ぼ~っとする時間、頭の中に出てくることは打ち消さず、

そのまま受け止める時間、ただ、何もしない時間、

そんな時間が大事だと言われます。

 

私には、ただぼ~っとする時間は、あまりありませんが、

私は、ただぼ~っと歩く時間をよく持ちます。

 

今日の午後は時間があったので、

愛用のミラーレス一眼レフをもって、出かけました。

特にカメラに凝っているわけではありません。

レンズも一本だけです。

 

モリタウンを抜け、いつものテニスコートのイチョウ並木に出ます。

フォレスト昭和館の脇の道を歩くと、両脇に昭和の森ゴルフ場があります。

そのすぐ横を玉川上水が流れています。

玉川上水に沿って歩いて、ぐるっと約1時間くらいかけて帰ってきます。

気が向いたらよく歩く道です。

小さな自然に触れ、健康にもいい時間です。

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作られたテニスコートの並木路の植え込みにも、緑の真珠がありました。

細い花径、とっても小さな花なのに、たわわに実がなっています。

不思議です。

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玉川上水の金網のそばには、不思議な花が咲いていました。

自転車道をはさんで民家があるので、そこから派生したのでしょうか?

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普通に道端にある、ふあふあな坊主頭の実りです。

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可憐な花があるかと思えば、そんな花にもシジミチョウがとまっています。

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私の場合、何もしないということはないけれど、

ただ、ぼ~っと歩くのが好きというか、

時間があれば、そうします。

特別な状況がない限り、一日一万歩は日課です。

 

そんなときには、雑念の絶えない私のアタマも、不思議と空っぽです。

そして、私にしてはゆっくり歩くので、

道端の小さなかわいいものが、目に入ります。

これも不思議ですが、見ているというより、見えてくる感じです。

 

カメラを構えてファインダーを覗きます。

その小さなかわいいものが、ファインダーの中で、主役になります。

大きくクローズアップされ、ファーカスされます。

目立たない小さな命が、とても引き立って見えます。

ただ、カラーではありながらも、なんだかモノトーンなんです。

構図を決めてシャッターを押すと、それが一瞬で、明るく色付きます。

この瞬間が何とも言えません。

 

何気ない葉っぱや、可憐な花たちが美しいんです。

こんな自然の飾らない美しさに接すると、気持ちは豊かになります。

 

なにも大自然に行く必要もない、

ただ、普通の道を歩くだけで、自然の美しさに包まれます。

昭島には、幸いにも、都心にはないそんな普通の環境があります。

 

こんな美しいものが、日常にあって心を和ませてくれるのに、

それに気づかずに生活するのは、悲しいこと、残念なことに思えます。

小さな自然を非日常ではなく、

日常にできる「ぼ~っと散歩」の豊かな時間です。