最近、図書館で借りる本が絵本ばかりになり、
普通の本は、わずかしか借りていません。
以前に借りてよかった本を買ってはみたものの
「積ん読」になってしまっている本が何冊もあり、
それらを最近読んでいます。
最初に読んだときのことはすでに忘れていますね。
先日書いた『さよなら、ストレス』辻秀一著もそうですが、
今回は、『ありがとうの神様』小林正観著です。
まずは、要約から。
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何かの問題に出合ったときの「3つの解決方法」
- 解決法① 「戦う」
- 解決法② 「逃げる」
- 解決法③ 「我慢する」
3次元的にはこの解決法しかない。
3次元とは、物質社会、経済社会のこと。
4次元的な解決法: 「気にしない」
4次元には、精霊や、守護霊が住んでいる。
5次元的な解決法: 「気にならない」
5次元は、神や仏が住む世界らしい。
「問題」を問題だと認識しなければ、問題を生み出さないという考え方。
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起こっている現象に意味はない、意味付けしているのは自分自身。
私もそう思うので、ここに書かれていることはその通りだと思っている。
しかし、学童保育で起こった一連のことを思うにつけ、
そんな簡単なことではない気がしている。
著者は例として、こう言っている。
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仮に私が、「や~い、ヤセ!」と言われたとします。
このとき、事実を指摘されたのですから、私は腹が立ちません。
「や~い、デブ!」と言われたとしたら、
それは事実ではないので、やはり腹は立ちません。
つまり、事実であれば腹は立たないし、事実でないならば腹は立たない。
どちらも腹は立たないから「気にならない」のです。
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「そんなに単純じゃないよね!」
と私が思うのには、ふたつの理由があります。
ひとつは、小林正観さんは、明らかにヤセなのでしょう。
だったらこれでいいと思うのですが、その中間の人もいます。
自分は普通だと思っている人が、
「や~い、デブ!」と言われたらどうでしょうか?
腹が立つ、あるいはとてもイヤな思いをして落ち込むかもしれません。
そのときに、気にならないというあり方は、
なかなかできるものではないでしょう。
そのときは、「気にならないようにしなければならない」
ではなくて、「いやだなつらいな」と感じている自分がいる
そういう自分を俯瞰すること。
それなら、意識すればできるようになるでしょう。
あともう一つ、理由があります。
そう簡単じゃないと思える理由が、...........