子どもが主役、問題なんかどこにもない

2日前の水曜日に「意識的無能を感じる」を書いたのち、2日間が過ぎました。

状況は一つ進んだ段階となりました。

私が通う学童保育の人たちの軸は、少しもぶれないからです。

 

昨日が終わって出てきたことは、

「ここは、子どもが主役の場所。

大事にするのは、どんなルールをつくってどれだけ守らせたかではなくて、

ひとりひとりの子どもがどれだけ成長できたかということ」

 

これ当たり前ではないんです。

この学童保育の場所だけが、特別な感じなんです。

2度ほど、同じNPOのほかの学童に応援に行って、それを感じています。

 

そこで働くスタッフに聞きたいことがあります。

「あなたは、毎日このお仕事をするのが楽しいですか?」

「あなたは、子どもが好きですか?」

「あなたが、このお仕事をすることで大事にしていることは何ですか?」

 

その2か所は、見るからに楽しそうではなくて、

なんだか作業としてやっている感じなのです。

子どもへの接し方を見ていると、子どもが好きとは思えないのです。

子ども一人ひとりを見ていなくて、

十把一絡げで、言うことを聞かない子は問題児にされるんです。

 

問題児という言い方をする人が複数います。

一体何が問題なんでしょう?

こちらの思惑通りにならないからです。

問題と思うから問題なのであって、それはその子の個性なのです。

そこには病的なことや、家庭環境からそうなっているケースもあります。

しかし、どうであれ、

その子は○○君(ちゃん)であって、ちょっと違っているだけ、

それには理由があって、決して問題ではないんです。

 

奇声を発する子がいて、うるさいと、

「やめさせましょう」などと言う人がいます。

ほんとうに、うんざりします。

どうして、この子が奇声を発するのか、

そこを見てあげないと、あまりにもかわいそうです。

 

でも、そういう人が悪いと決めつけるのも、また問題なのです。

なぜ、その人がそう思うようになったのかも、

そこには、必ず理由があるのです。

そうは思いつつも、相手が大人だと、

イライラ、むしゃくしゃしますね。

 

今の世の中、おおらかさがなくなりました。

ぎくしゃくした世の中、人間関係で、

多くの大人が満たされていないから、

子どもへのおおらかさがなくなっているのでしょう。

 

だとすれば、それを持って活動できている

この学童保育ほど、大事なものはないということになります。

 

そんなこんなを感じている、今日この頃です。

 

この仕事は、ハローワークを通じて見つけました。

その求人の仕事の内容にはこう書かれていました。

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小学生を対象とした放課後児童クラブでの保育です。

スタッフ全員でアイデアを出し合い、創りあげていくお仕事です。

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昨年7月末から行きはじめ、まもなく1年が過ぎようとしています。

そこは、まさにそんな場でした。

堅苦しいルールはなく、まさに子どもが主役、

子どもの感性と自主性を重んじる遊びの場なのです。

ある意味、宿題なんかしなくてもいい、

少々けがをしても、ケンカをしてもいい、

子どもはそうやって育っていくものだからです。

 

宿題をやらないでいれば、そこから学ぶことがあります。

それでやろうと思えば、それでいいんです。

小学校低学年で、勉強は二の次、いかに感性を磨くかが大事なんですから。

 

少々のけがを恐れて何もしなければ、何もできないまま育っていきます。

 

ケンカを見ていると、子どもっておもしろいなと思います。

それなりに折り合いがついていきます。

ただ、性格や能力的にそうもいかないケースもあるので、

しっかり見守る必要があるのは当然です。

 

室内での工作は毎日のようにやっています。

外遊びでは、一時期木登りがブームでした。

今も、1年生が木登りにチャレンジしつつあります。

そして今、一番のブームは、泥遊びです。

なにせ、服やズボン、靴、靴下が泥んこになります。

昨日は、みんなが裸足になって遊びました。

はじめてはだしで遊んだという子もいます。

 

昔に比べて、今の子たちは、本来ならば経験していることを

やったことのないケースが結構あります。

 

帰ってくるとすぐに2階に上がって、みんなで一斉に宿題をやります。

昨日の写真がこれです。

この宿題のやり方もそれぞれです。

微笑ましいですね。

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