当たり前のことを当たり前にすることの難しさ

最近、考えさせられることがあります。

ある意味悩みですが、深刻になることはありません。

それに、私にはしっかりとした味方がいます。

 

最近ドリームマップでも大事にしていることは、

  • 事実(コップに入っている半分の水)に意味はない
  • 自分の見方で意味づけをしている
  • コップの空いているほうを見ると、水は半分しか入っていないと思う
  • 入っている水を見れば、半分も水が入っていると思える

そういうこと。

 

2008年に、人生の転機があり、

2009-2011年のカナダ赴任は、これまでの会社人生で

いちばん楽しくもあり、一番つらい時期でもありました。

その時期を経た帰国後は、吹っ切れて、今を楽しむことができ、

幸いにも、2012年から定年までの5年半は、

超マイペースで仕事ができました。

職場の人間関係でも煩わされることはありませんでした。

 

その一つ大きな原因は、

2012年5月から、会社人から社会人の道を歩み始めたことです。

いわゆるサードプレイスに、生まれて初めて出かけるようになりました。

そこは、ありのままの自分を受け入れてくれる場でもあり、

多くの人とのご縁ができ、居場所ができました。

今もそれは続いています。

 

このサードプレイスに来ている人は、

みんなオープンで、自ら学びを求めている人たちでもあります。

そこには、こういう人と一緒に過ごしたくない

という人は一人もいませんでした。

もし、いたとしても、その人と会わない選択ができるし、

また、居心地が悪ければ、そこに行かなければいいわけです。

 

そのサードプレイスで自分が満たされると、

家庭(ファースト)、職場(セカンド)にも好影響を及ぼします。

その正のスパイラルの中にいて、それがずっとここまで続いてきています。

 

学童保育の職場も、昨年7月末から行き始めて、

こんないい場所はないと感じてきました。

しかし、最近そうもいかなくなっているのです。

本部の管理体制が入ってきて、

この日と一緒にやるのはイヤだなと思う人もやってきました。

この人たちは、なんのために学童保育をやっているのか、

正直理解できないことを経験しています。

 

冷静に考えてみると、

  1. いちばん大事なのは何かというと、子どもたちであること
  2. そのいやな人も、もともとは純粋無垢な赤ちゃんだったということ

に気がつきます。

 

1. 子どものためにベストなのは何か?

こどもは大人の言うことは聞かない、しかし大人のマネはする。

ここに対しては、もっともっとやることがたくさんあります。

それをひたすらやるだけです。

 

2. その人は変わらないのか?

私には同じ想いの仲間が複数いて、方向性と行動は合意できています。

その困った人をなんとかするのではなくて、

自分たちがぶれないように1.への対応をしっかりやっていけば、

その人も気づいてくれると信じています。

 

これまでは、学ぶばかりで、平穏すぎて、

現実的にそれを活かすことができませんでした。

そのまま行ったら、自分の成長は限られていたでしょう。

しかし、今その機会が与えられたのです。

そこに感謝して、

  • 人は変えられない
  • 自分のやることは自分で選択でき、行動することができる
  • ないものではなくあるものにフォーカスする

この難しい当たり前をやっていくことができる今日この頃です。

 

最初は、最悪の事態を考えました。

考えてもどうなるものでもないわけで。

これこそ、ないものを見ているということになります。

あるものを見ると、こんなにもあるということが見えてきます。

ドリマの授業をやりながら、その準備をしながら、

自分自身が、多くの学びを実感できていることに感謝です。