人間、自分の悪いところを指摘されて、
自ら改めることができるでしょうか?
これが、なかなかできないんですね。
なぜできないのでしょうか?
それは、遺伝による性格というより、
育てられ方によって醸成されたその人のあり方は、
そう簡単には変えられないからでしょう。
『続子どものまなざし』にこういうことが書かれています。
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保育園などで、
家庭で望んだことを聞いもらえなかった子どもたちに、
何でも言うことを聞いてあげようという気持ちで接すると、
今まで聞いてもらえなかった分をどっと要求してくる。
要求がエスカレートし、図に乗ってくるように見えることがある。
それでも、そんな大きな要求を聞いて叶えてあげることが大切。
自分の要求が受け入れられるという経験が積み重なっていくと、
やがて甘えが少なくなり、そしてなくなり、
やがて攻撃的な感情もほどほどになってくる。
「わがまま」を許すと、取り返しのつかないことになると、
「わがまま」を認めないようにすると、
逆に取り返しがつかなくなる。
では、その子の親にどう接すればいいのか?
やってはいけないのは、
親に、子どもの状況を知らせたり、
子どもの言うことをもっと聞くようにアドバイスするということ。
言われてすぐに直すことができるくらいなら、
はじめからちゃんとできている。
できない親だからそうなっているわけ。
だから、できない親に、できない希望を伝えるのは、
だいたいマイナスの結果を生むことが多い。
気になる子どもたちの親に、
「この子が保育園でほかの子をかんだり、たたいたりする」
「保母さんにべたべた甘えたりして、ほかの子どもの何倍も手がかかる」
ということを伝えると、
家庭で親から、子どもたちはつらい仕打ちを受けることになる。
きっと親は帰ってから、
「もっといい子にならなくちゃいけない」
「ああしなさい。こうしなさい」
と子どもに言う。
そして、そういう感情のほうが強く伝わるので、
子どもをもっと欲求不満にさせてしまう。
一般的にいうと、子どもを欲求不満にしてしまう親というのは、
親自身も欲求不満な場合が多いようである。
親自身が自分の欲求をもっと叶えてもらいたいと思っている。
そして、子どものことをあれこれ言われたくないと思っている。
そういう子どもの親には、
ほんとうにいやみや小言の一つも言ってやりたいと思っても、
それは絶対にしてはいけないこと。
反対に、
「おはようございます。今日は寒いですね」
「かぜがはやっていますけど、気をつけてくださいね」
と、ほっとくつろぐような一言をかけてあげるだけで十分。
1回言ったからといって親の気持ちがすぐ変わるわけじゃない。
10回も100回も必要かもしれない。
それでも、そういう一言がたびたび重なっていって、
お母さんの気持ちがいやされて、
自分にはやさしい言葉をかけてくれる人が一人いる、
二人、三人いる、自分にはこういう人たちとのつながりがある、
とだんだん実感してくるわけである。
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これを読むとなるほどなと思うわけです。
幸いにも、いまの学童保育には、
そんな親御さんは一人もいません。
ちょっと厳しすぎるかなと思われることもなくはないのですが。
ここに書かれていることは、
子どもと親との関係だけに通じるものではなく、
社会全般、とくに最近満たされていない人が多い職場でも
ほんとうに大切なことだと感じました。
もともと人間は、だれもが幸せを、平和を望むものだと思います。
しかし、自分の「わがまま」が聞いてもらえなかったり、
叶えられなかったりする経験の積み重ねによって、
敵対的な心理、態度や行動をとることになるのだと思います。
世の中もっと寛容になる必要があります。
こんな言葉があります。
「壊れた大人たちを直すより、強い子どもたちをつくる方が簡単だ」
フレデリック・ダグラス
(アメリカ合衆国メリーランド州出身の元奴隷、奴隷制度廃止運動家、政治家)
今の私にできることは、今日も学童保育に行き、
そこで、子どもの「わがまま」を聞いてあげることだと思っています。