2週間前の3月6日に「手放し切る時期」というタイトルで、
このようなことを、ここに投稿しています。
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何も特別なことのない穏やかな日々です。
「だからこそ、今が大事だ。特に今週と来週が。」
そんな声が聞こえてきています。
今、とても静かな変容の時期にあるのかなと思えます。
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そして、その後、どうなったのでしょうか?
3月4日(月)から18日(月)までの15日間にあったこと。
- 学童保育 10日
- ドリマ授業 1日
- PIECES「よんなー よんなー」相談会 1日(午前中エンボディ)
- よんなー銭湯部会 1日
- 特に何もない日(週末) 2日
学童・ドリマ・よんなーという
Solの現在の活動の3本柱が全部含まれ、
また、自分に向き合う日も2日取れました。
定年退職後は、それまでとはまったく違う
自分の本当の人生を生きると思って、言って、
ここまでやってきました。
そのおかげで、いまの自分があるわけですが、
手放し切れていない心のザワザワ感が、まだまだあります。
「今ここ」より大切なものがあるはず、という漠然とした感覚、
結果がほしい、自分がやったと思える何かがほしい、
ここまでやっていれば、何かきっといいことがあるはず、
という期待感があるからでしょう。
だから、漠然と今を過ごしているという感覚があり、
今、こんなことをしていていいのだろうか、
という少し浮ついた時を過ごし、
結果として、今を大切にできなかったのだと感じます。
そういう時期を過ごしたからこそ、かもわかりませんが、
ドリマ授業も、よんなーも大切だけど、
週日は毎日のようにやっている学童保育を、
もっともっと大切にしなければいけない、
3月に入って、そう強く思えるようになってきました。
具体的なアイデアも出てきたので、
この2週間静かに準備をしてきました。
それは後日書きますが、そのことから、
言葉だけの状態から、ほんとうにやろうと思ったことがあります。
- 無駄なことは何もない
- 恵まれた境遇にあるのだから、焦る必要はまったくない
- いま目の前にある必要なことを、丁寧にやろう
そういうことです。
そして、この2週間、それを実践してきました。
そんな2週間が終わろうとするとき、
奥さんから、家事の分担が少なすぎるという指摘を受けたのです。
会社勤めのときは、ほぼまったくというほど家事はしませんでした。
だから、今のわたしは、当時からすれば考えられないくらい
家事をやり、家庭に貢献していると思っていました。
しかしながら、自分の感覚で何十倍も貢献していると思っても、
それは世間では通用しないわけです。
だったら、やるのなら、楽しめそうな料理の分担をしよう。
2~3日に1回くらい。
学童保育から帰ってくるのが、順調な時でも20時半、
20時まで延長が入ると21時、
場合によってはそれより遅くなることもあります。
だから、そう簡単ではありません。
16日の土曜日は、時間があったので、
しっかり作りましたが、学童のある平日は大変です。
昨日18日は、午前中に買い物に行き、カレーを仕込んで、
20時半に帰ってきてから、仕上げをする形で、何とかやりました。
昨日、料理と洗い物やゴミ出しなどをやりながら思うことは、
- 朝冷蔵庫を見ると、カレーに必要な食材が少ない
- 今日はハッピーデーで、スーパーが5%引きなので、朝買い物しよう
- 米を研いで、予約炊飯をセットしておいてもいいけど、残り物の冷凍ご飯がたくさんあるので、帰ってからチンして、チャーハンカレーにしよう
- 料理をすると、マルチタスクが磨かれる気がする
などなど、大したことはしていなくても、
気分はなんとなく主夫感覚を味わいました。
それは、かつて雑用だと思っていました。
しかし、今、その雑用が、かけがえなく大切なもの
そう思えつつある気がします。
これが、ここ2週間で起こった静かな変容です。
そして、昨日新たに始めたことは、
- これまで諦めていた断捨離を何年かかってもいいのでやろう
- 毎日1mmでも、0.1mmでもいいから
ということで、ほんとうに0.1mmくらいだけど、
学童保育に行く前に、少しだけ整理しました。
物理的に断捨離できれば、
心も断捨離感、すっきり感が出てくるのだろう、
それを楽しみながらやっていきます。