働くとはつらいこと? ②

今回は常体で書きます。

 

最近、武田邦彦さんの本を3冊ばかり読んだ。

中には、ほんとうかな? 賛同できないな!

というものもあるものの、私としては、

多くは、とても的を得たことを言われているなと感じている。

 

『武田邦彦の科学的人生論』という本に、

こんなことが書かれていた。

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家族と日々の労働は次のようなものであった。

(イライザ・シッドモアの旅行記から。1884年からしばしば日本を訪れる)

 

「日本の輝く春の朝、大人の男も女も、

子どもらまで加わって海藻を採集し、浜砂に拡げて干す。

漁師のむすめたちが肌を丸出しにして、浜辺を走り回る。

藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中に籠を背負っている。

子どもたちは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、

幼児は楽しそうに砂の上で転げまわる。

婦人たちは、海草の山を選別したり、

ぬれねずみになったご亭主に、時々、ご馳走を差し入れる。

あたたかいお茶とご飯。

そして、おかずは細かにむしった魚である。

こうした光景総てが陽気で美しい。

だれもかれも心浮き浮きと嬉しそうだ。」

 

これらの描写が、産業革命のイギリスを描写した

エンゲルスの書とあまりにも違うことに驚かざるを得ない。

 

「貧民には湿っぽい住宅が、すなわち、

床から水があがってくる地下室が、

天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。

貧民は粗悪でぼろぼろになった、あるいは、なりかけの衣服と、

粗悪な混ぜ物をした、消化の悪い食料が与えられる。

貧民は性的享楽と飲酒のほかには、いっさいの楽しみを奪われ、

そのかわり、毎日、完全に疲労してしまうまで酷使される。」

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この比較は、かなり極端ではあるが、工業化が進み、

物質的に豊かになるために、多くの人が犠牲になってきた

ということでもある。

 

『逝きし世の面影』渡辺京二著という本には、

幕末の庶民の人間らしい豊かな生活が

当時日本を訪れた多くの外国人の目を通して語られている。

その当時の日本人の生活は、とても美しかったようである。

 

文明開化後、多くの戦いや葛藤を経て、

日本では少なくとも、上記の産業革命当時のような

過酷な労働環境はほぼなくなっている。

 

しかし、「サラリーマンは楽でいい」

と言われた時代もあったもの、

いま企業で働くことが楽しいということを

最近あまり聞いたことがない。

さらに、正従のサラリーマンになるのも

並大抵ではなくなっている。

 

特に大企業では、仕事が辛いという人が多い。

長時間労働は少しは改善されてきたかもしれないが、

精神面で、多くの人が疲弊している。

体調を崩して、会社に行けなくなる人もいる。

ストレスが過剰になると、健康的な食生活もままならず、

ガンやほかの病気になる確率も高くなる。

 

企業は、特に上場企業の目的は、

利潤追求、会社を大きくすること、

そんな中で、企業優先が跋扈する。

しかし、実態はその企業こそが疲弊している。

 

従業員やその家族の幸せを、言葉面だけでなく、

本気でそうしている大企業というのは、聞いたことがない。

一方、日本には、じゅんちゃんの大人の遠足で訪問した、

伊那食品工業、日本理科学工業、四国管財、戸田商行など、

それを本気でやっている、本来の日本企業といえる中小企業が

少なからずあるのも事実で、

『日本でいちばん大切にしたい会社』

の活動にも勇気づけられる。

 

ここに書いているのは、いかんともしがたい現実。

そして私は、はっきり言って無責任に書いている。

 

私が元お世話になった会社は、とてもいい会社で

働きづらさはあまりなかった。

私自身も働くことが辛いと思ったことは、ほとんどない。

それにはとても感謝している。

 

しかし、その会社も、定年退職になる少し前に、

全管理職に対して、「常在戦場であれ」

という激励(?)まで出てきて、幻滅したことを覚えている。

 

働く目的は何かを考えたとき、

利潤追求、企業の業績優先の会社の論理の下で働くことに

意義は見いだせない。

残念ながら、それを変えることもできない。

 

特に長年勤め上げた後に

  • 人の役に立ちたい
  • 社会のために役に立ちたい

という想いがあり、その対象が見えている今、

  • 会社のために役に立ちたい

そうは思えないのである。

 

この散文に、結論をあえて出すとすれば、結局、これかなと思う。

振り子は触れ、そして振り切れる - SOL Cafe 『幸せの栖(すみか)』 

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