自信とは、どこで育まれるのだろう

今日のワンデイ・ドリマでも出てきた言葉、「自信」

 

その字を見て、読んで字のごとしと思っていたのは、

  • 自信とは、自らを信じること
  • 信じるとは、人に言うこと

でした。

 

家にある柴田秋雄さんの日めくりの30日は、この言葉でした。

たまたま、それがありました。

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この世に必要のない人なんて、ひとりもいないのに、

自分に自信のない人は、とっても多いと感じています。

 

ドリマで、コップのワークがあります。

どれだけ自分が好きかを、コップの水で表します。

けっこうイキイキして、好きなことが多い人(子)の

コップの水が意外と少なかったりします。

 

私は、幸せは引き算ではなく、足し算だと思っています。

ないものではなく、あるものに感謝すれば、

すぐにコップの水はいっぱいになります。

 

私が特殊なんでしょうか?

 

いま幸せだと思えば幸せだ、

コップの水も、あると思えばいっぱいある

と思っているだけに、

幸せそうなのに、水が少ない人(子)を見ると

いつも不思議な感覚をもちます。

 

それは、自分に自信がないからなのでしょうか?

 

私は、

コップの水は満杯ですが、

「自信」を「できるという確信」と考えれば、

そんなものはありません。

あるのは、

「自らを信じる」ということではないかと思っています。

 

結果はどうであれ、

  1. まずは、できると信じる
  2. そして、やれることをしっかりやる
  3. そして、それを認めてくれる人と一緒にいる

ということが大事です。

この3番目が、けっこう大事なんです。

逆に言うと、1と2は、3によって育まれると思えるからです。

 

私のコップの水が溢れているのは、

ステキな仲間がいて、

自分の本音を出し、

できるかどうかわからない自分の夢を

人に言ってきたからです。

言った者勝ちなんです。

 

自信の字をよく見ると、

  • 目の上にノ(の)と書いて自
  • 信とは、人に言うこと

すなわち、”目上の人に言うこと”。

 

学童保育、ドリマ授業、よんなー よんなーを

やってきて感じるのは、

子どもから自信を奪うのは、大人だということです。

大人は、親、先生、監督・コーチなどなど。

視点は、人との比較です。

 

”世のなかには必要のない人は一人もいない”

はずなのに、どうしても人と比較して

些細なことで自信喪失させがちです。

 

大人になってからも同じように、

自分よりできると思われる目上の人に

自分の意見が受け止めてもらえれば、

たとえそれが受け入れられなくても

自信はついてくるでしょう。

 

子どもにとってはなおさらです。

 

今日のドリマで、

「子どもたちをコミュニティで育む」

という夢を描いた私としては、

子どもたちが、”自ら人に言う”ことで、

自信をつけていく、そんな安心安全な場が、

広がってほしいと思っていますし、

それに自分が貢献したいと思います。 

 

そんなことが、お風呂の中で湧いてきたので、

出てから、できるだけ湯冷めしないようにして、

まとめてみました。