屁理屈な社会だな③

”屁理屈”とは、

「まるで筋の通らない理屈。道理に合わない理屈。」

 

”理屈”とは、

「筋の通った考え。道理。」

「無理にこじつけた理由や論理」(理屈をこねる)

「物事がそうなる理由」

 

”道理”とは、

「物事がそうあるべきすじみち。ことわり。わけ。」

「人の行うべき正しい道」

 

この「人の行うべき正しい道」は、誰が決めるのでしょうか?

 

それぞれが決めて、みんなが正しい道を主張しています。

それに”屁”をつけて、歪んだ道も正しい道にしてしまう状況も

多く見受けられますというか、

テレビを見ていると、屁理屈の応酬のように感じてしまいます。

 

ここで思い出されるのが、Today's Tip 1615で引用した

養老孟子さんのことばです。

 

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意味のあるものだけに取り囲まれていると、

いつの間にか意味のないものの存在が許せなくなってくる。

その極端な例が、神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう。

障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味がるのか、

そう犯人は問うた。

その裏には、すべてのものに意味がなければならない、

という(暗黙の)了解がある。

前提の「すべてのものには意味がなければならない」までは、

信仰として許される。

しかし、第2段の暗黙の了解が問題である。

「私にはそういうものの存在意義はわかりません」。

そういう思いが当然なのに、

自分がわからないことを「意味がない」と勝手に決めてしまう。

その結論に問題がある。

なぜそうなるのかというと、すべてのものに意味があるという、

都市と呼ばれる世界をつくってしまい、

その中で暮らすようにしたからである。

意味のあるものしか経験したことがない。

そういってもいい。

山に行って、虫でも見ていれば、

世界は意味に満ちているなんて誤解するわけがない。

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何事にも意味付けしようとするのは、

  • 報酬を得ることが働くことの目的化してしまった
  • 経済優先の政治や社会の風潮

が生まれてきたごく最近のことですね。

 

国民の圧倒的多数がサラリーマン化した社会の歴史は

それほど長くはありません。

”企業で働く”を中心とした常識が幅を利かせている、

そんな時代も基本的には高度成長期以来のことですね。

 

さまざまなことが、

  • 企業に貢献する
  • 企業が成長・発展する
  • そんな企業に入る
  • そのために我慢する

そういったことのために意味付けされています。

企業は、「会社の意図に沿わないものには意味がない」

と勝手に決めつけてしまいます。

そして私たちは。それに外れる自分の意志は役に立たないものと

思い込まされているわけです。

 

企業を一個人が変えようとしても、どうにもなりません。

そこに固執すると、自分がつぶれていきます。

 

そんな意味付けされた屁理屈には勝てないのです。

闘わないで、まずやることは、

それはそれとして、自分を大事にすることだと思います。

そして悩みぬくことも必要です。

そんな時間を増やしていくことで、

自分が変わっていくことができれば、

時間はかかるかもしれませんが、何かが見えてきます。

 

悩みぬくためには、「つながりを感じる」ことが必要です。

それは、家庭でもない、職場でもない

サード・プレイスにあると思っています。

 

だからこそ、

屁理屈は忘れて、人間本来の楽しさを味わうSOL Cafeを

ご縁を大切にと、続けています。

いろいろ企画していますのでご覧ください。

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