”屁理屈”とは、
「まるで筋の通らない理屈。道理に合わない理屈。」
”理屈”とは、
「筋の通った考え。道理。」
「無理にこじつけた理由や論理」(理屈をこねる)
「物事がそうなる理由」
”道理”とは、
「物事がそうあるべきすじみち。ことわり。わけ。」
「人の行うべき正しい道」
この「人の行うべき正しい道」は、誰が決めるのでしょうか?
それぞれが決めて、みんなが正しい道を主張しています。
それに”屁”をつけて、歪んだ道も正しい道にしてしまう状況も
多く見受けられますというか、
テレビを見ていると、屁理屈の応酬のように感じてしまいます。
ここで思い出されるのが、Today's Tip 1615で引用した
養老孟子さんのことばです。
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意味のあるものだけに取り囲まれていると、
いつの間にか意味のないものの存在が許せなくなってくる。
その極端な例が、神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう。
障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味がるのか、
そう犯人は問うた。
その裏には、すべてのものに意味がなければならない、
という(暗黙の)了解がある。
前提の「すべてのものには意味がなければならない」までは、
信仰として許される。
しかし、第2段の暗黙の了解が問題である。
「私にはそういうものの存在意義はわかりません」。
そういう思いが当然なのに、
自分がわからないことを「意味がない」と勝手に決めてしまう。
その結論に問題がある。
なぜそうなるのかというと、すべてのものに意味があるという、
都市と呼ばれる世界をつくってしまい、
その中で暮らすようにしたからである。
意味のあるものしか経験したことがない。
そういってもいい。
山に行って、虫でも見ていれば、
世界は意味に満ちているなんて誤解するわけがない。
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何事にも意味付けしようとするのは、
- 報酬を得ることが働くことの目的化してしまった
- 経済優先の政治や社会の風潮
が生まれてきたごく最近のことですね。
国民の圧倒的多数がサラリーマン化した社会の歴史は
それほど長くはありません。
”企業で働く”を中心とした常識が幅を利かせている、
そんな時代も基本的には高度成長期以来のことですね。
さまざまなことが、
- 企業に貢献する
- 企業が成長・発展する
- そんな企業に入る
- そのために我慢する
そういったことのために意味付けされています。
企業は、「会社の意図に沿わないものには意味がない」
と勝手に決めつけてしまいます。
そして私たちは。それに外れる自分の意志は役に立たないものと
思い込まされているわけです。
企業を一個人が変えようとしても、どうにもなりません。
そこに固執すると、自分がつぶれていきます。
そんな意味付けされた屁理屈には勝てないのです。
闘わないで、まずやることは、
それはそれとして、自分を大事にすることだと思います。
そして悩みぬくことも必要です。
そんな時間を増やしていくことで、
自分が変わっていくことができれば、
時間はかかるかもしれませんが、何かが見えてきます。
悩みぬくためには、「つながりを感じる」ことが必要です。
それは、家庭でもない、職場でもない
サード・プレイスにあると思っています。
だからこそ、
屁理屈は忘れて、人間本来の楽しさを味わうSOL Cafeを
ご縁を大切にと、続けています。
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