2日前のブログには、現時点で行きついた結論をこう書きました。
「学校が学童保育に代わる社会をつくる」
この表現は正しいといえず、誤解を招くので、
前回のブログを、このタイトルと同じに書き換えました。
「勉強も教える学童保育が、学校にとって代わる社会をつくる」
これからは、それをもっと深めていきたいと思っています。
前回までは、常体で書いていますが、
問いかけながら深めたいので、
箇条書き以外は敬体にします。
学校経験がほとんどなく、わずかな経験と
頭の中で考えてことを書いているので、
現実とそぐわないこともあるかもしれません。
ご意見・アドバイスいただけると嬉しいです。
学校は何をするところでしょうか?
- 子どもからすれば絶対的存在の指導員の先生がいる。
- 先生は、学級主任・副校長(教頭)・校長・市教委・…文科省という構図で管理されていて、自由度が少ない。
- 授業、宿題、給食、…など、学校で行われるほとんどのことは、みんなで一斉にという形で行われる。
- ほとんどの時間を同学年、同年齢が一緒に過ごす。
- 通信簿(通知表)は相対評価。
- 試験があり、点数がつき、順位がつく、偏差値もある。
- 付いていけない子が、少なからず出る。
- 逆でにできる子は、学校内では、勝手にその先には進めない。
- いじめもあり、不登校の生徒も少なからずいる。
- PTAのプレッシャーがある。
- これら全部を、担任の先生がやらなければいけない。
- 障がいのある子は特別学級にいて、一般のクラスとの交流がない。
- 子どもたちは、放課後友だちと遊ぶが、基本的に一日の多くの時間を、家・学校・塾・習い事や、その行き帰りに使っている。
何のために勉強をするのでしょうか?
- 受験のためでも、就職のためでもない、他人と競争するためでもない。
- 自ら成長し、人生を豊かにするために勉強する。
一斉に勉強を教えるということは必要なのでしょうか?
- 先生が、教えなくても、教材のビデオコンテンツがしっかりできていて、機材が準備できていれば、eLearningで勉強ができる。(以下eLearningの良さ)
- 個人の理解度に応じて、無理なく勉強ができる。
- むら、バラツキのない高品質のコンテンツが提供される。
- その子の興味のあるものは、どんどん突っ込んで先まで進んで勉強ができるなど、学ぶ側の裁量が担保される。
- 場所と時間を選ばない、リモートでの勉強もできる。
- わからなければ、サポートしている人に聞くことで、納得できるレベルでの理解度を得ることができる。
- 想いのある先生が、特別に生の授業しようと思えば、それを実行すればいいし、それをもとにコンテンツをつくることもできる。
- 区切り区切りで、理解度を確認するミニテストのようなものがあれば、特にまとまった試験はいらない。
以上のようなことを考えてみると、従来からの学校というものから、
新たな仕組みに切り替えていく必要があるといえると思えます。
それは、「従来の学校がなくなり、勉強も教える学童保育に代わること」
という表現がわかりやすいと思います。
現在の学童保育は、勉強を教えるところではないので、
上記の表現にしています。
その新たな学童保育とはどんなものでしょうか?
- 地域に開いた校舎にする。
- 校舎はなくても、コミュニティの施設でもよい。
- ただし、出入りは登録した者のみとし、セキュリティの仕組みをつくる。
- 学級をやめ、ある年齢層がまじりあったグループを一単位とする。
- その中には、障がいのある子なども一緒に学ぶ。
- 教室は、テーマごとに体験できる場とする。
- 教室を出て、さまざまな施設で体験学習もできる。
- その体験は、登録した大人がつくり、子どもと一緒に学び合う。
- 学力の向上は、eLearningをフル活用して行う。
- 教師は、ファシリテーター的存在、伴走者、支援者となる。
- 生徒は、多くの年代の人に接し、学問的なものではない、実用的で、生きていくうえで大切な、多様な学びを得る。
- 「知・体・徳」をコミュニティの中で身に着ける。
そうなると、どういうことが起こるでしょうか?
長くなるので、ここで区切ります。