勉強も教える学童保育が、学校にとって代わる社会をつくる①

2日前のブログには、現時点で行きついた結論をこう書きました。

 

「学校が学童保育に代わる社会をつくる」

この表現は正しいといえず、誤解を招くので、

前回のブログを、このタイトルと同じに書き換えました。

「勉強も教える学童保育が、学校にとって代わる社会をつくる」
 

これからは、それをもっと深めていきたいと思っています。

前回までは、常体で書いていますが、

問いかけながら深めたいので、

箇条書き以外は敬体にします。

 

学校経験がほとんどなく、わずかな経験と

頭の中で考えてことを書いているので、

現実とそぐわないこともあるかもしれません。

ご意見・アドバイスいただけると嬉しいです。

 

学校は何をするところでしょうか?

  • 子どもからすれば絶対的存在の指導員の先生がいる。
  •  先生は、学級主任・副校長(教頭)・校長・市教委・…文科省という構図で管理されていて、自由度が少ない。
  •  授業、宿題、給食、…など、学校で行われるほとんどのことは、みんなで一斉にという形で行われる。
  •  ほとんどの時間を同学年、同年齢が一緒に過ごす。
  •  通信簿(通知表)は相対評価。
  •  試験があり、点数がつき、順位がつく、偏差値もある。
  •  付いていけない子が、少なからず出る。
  •  逆でにできる子は、学校内では、勝手にその先には進めない。
  •  いじめもあり、不登校の生徒も少なからずいる。
  •  PTAのプレッシャーがある。
  •  これら全部を、担任の先生がやらなければいけない。
  •  障がいのある子は特別学級にいて、一般のクラスとの交流がない。
  •  子どもたちは、放課後友だちと遊ぶが、基本的に一日の多くの時間を、家・学校・塾・習い事や、その行き帰りに使っている。
 
何のために勉強をするのでしょうか?
  • 受験のためでも、就職のためでもない、他人と競争するためでもない。
  • 自ら成長し、人生を豊かにするために勉強する。
 
一斉に勉強を教えるということは必要なのでしょうか?
  • 先生が、教えなくても、教材のビデオコンテンツがしっかりできていて、機材が準備できていれば、eLearningで勉強ができる。(以下eLearningの良さ)
  • 個人の理解度に応じて、無理なく勉強ができる。
  • むら、バラツキのない高品質のコンテンツが提供される。
  • その子の興味のあるものは、どんどん突っ込んで先まで進んで勉強ができるなど、学ぶ側の裁量が担保される。
  • 場所と時間を選ばない、リモートでの勉強もできる。
  • わからなければ、サポートしている人に聞くことで、納得できるレベルでの理解度を得ることができる。
  • 想いのある先生が、特別に生の授業しようと思えば、それを実行すればいいし、それをもとにコンテンツをつくることもできる。
  • 区切り区切りで、理解度を確認するミニテストのようなものがあれば、特にまとまった試験はいらない。

 

以上のようなことを考えてみると、従来からの学校というものから、

新たな仕組みに切り替えていく必要があるといえると思えます。

それは、「従来の学校がなくなり、勉強も教える学童保育に代わること」

という表現がわかりやすいと思います。

 

現在の学童保育は、勉強を教えるところではないので、

上記の表現にしています。

 

その新たな学童保育とはどんなものでしょうか?
  • 地域に開いた校舎にする。
  • 校舎はなくても、コミュニティの施設でもよい。
  • ただし、出入りは登録した者のみとし、セキュリティの仕組みをつくる。
  • 学級をやめ、ある年齢層がまじりあったグループを一単位とする。
  • その中には、障がいのある子なども一緒に学ぶ。
  • 教室は、テーマごとに体験できる場とする。
  • 教室を出て、さまざまな施設で体験学習もできる。
  • その体験は、登録した大人がつくり、子どもと一緒に学び合う。
  • 学力の向上は、eLearningをフル活用して行う。
  • 教師は、ファシリテーター的存在、伴走者、支援者となる。
  • 生徒は、多くの年代の人に接し、学問的なものではない、実用的で、生きていくうえで大切な、多様な学びを得る。
  • 「知・体・徳」をコミュニティの中で身に着ける。

 

そうなると、どういうことが起こるでしょうか?

 

長くなるので、ここで区切ります。