信じて進む先にあるもの⑥ 大人として真剣に向き合う

前回こう書いた。

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まずは、2-3回に分けて、
最近読んだこのちょっと古い1996年に発行されたこの本
 『現代日本文化論3 川合隼雄・灰谷健次郎共同編集 学校のゆくえ』
から、興味深い部分を引用することにしたい。

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今回、早速脱線して、別の本から引用することにした。

「レールを外れることが大事だ」ということの実践かな?

 

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この本を図書館から借りて読み、

これから子どもたちに接していく中で、

”ずっとそばにおいて見返していきたい本”

そう思ったので購入した。

 

そこにはこう書かれている。

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小学校の教師は、とてもやりがいのある仕事です。

純粋なまなざしをしたこともたちのエネルギーを

全身で受け止めて過ごす時間は、とても幸せな時間です。

でも、子どもたちと接し方を間違えると、

次第に厳しくつらい日々も始まります。

彼らは体は小さくても、繊細な心を持った立派な「人間」です。

適当なことを言って逃げたりしていると

ちゃんと見抜かれてしまいます。

くり返していると、大人を信用しなくなってしまいます。

だから心して向き合わなければなりません。

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今のわたしには、このことは実感としてよくわかる。

 

毎日のようにキッズクラブに通っているが、

今朝は、小学1年生とちょっとしたバトルがあった。

 

安易な勉強の仕方は、本人のためにならない。

 

わからない、めんどうくさい、

でもやらないと、親や先生から怒られる、

だから、ごまかそうとする。

 

足し算・引き算の基本的なところがわかっていないので、

小1の算数の教科書を図書館で借りたり、

足し算、引き算を理解できるためのツールを作っていたので、

それを出して説明しようとすると、

「嫌だ、あっちへ行って」

「答えを教えて」

という。

 

○○ちゃんが、ちゃんとわかってできるようになってほしいから

と言っても、

「いいから!」

という。

 

それでも、3年生が教えたりしたし、

そのツールも使っていたので、

少しだけ理解度は進んだ。

これが、学童保育のいいところ。

 

しかし、やっているのが100マス計算なので

半分いかないうちにくじけた。

 

それからは、答えを教えろの一点張り。

しまいには、棚から電卓をとってきてそれでやるという。

それは勉強じゃないから、やっても意味がないのでやめなさい

というと

「いいの!」

という。

そして、電卓を返そうとしない。

応援する子もいる。

 

ここで折れてはいけないと、その子に向き合った。

そのとき出てきた言葉は、

「わかった。もう何も言わない。

電卓を使いたいなら使いなさい。

でも、それはおかしいことだから、

SOLは、お父さん、お母さんにお手紙を書きます。」

 

その子は、まじめで素直なので、これで勝負あり。

電卓を返して、お手紙は書かないでということになった。

 

その後は、しばらくして、2階に上がってやっているのは確認したが、

最終的にはマスは埋まっていた。

どうやってやり切ったのかは定かではない。

誰かに答えを聞いたのかもしれないが、今日はそれでよし。

あとは仲良くお遊びした。

 

そもそも、基本的なことがわかっていない子に

100マス計算をやらせること自体がおかしいのである。

だから、これは子どもの問題だとは言いきれないところが悩ましい。

同じ状況は、ほかの子にもある。

このことは、このシリーズのテーマである

学校のあり方の問題、教育のあり方の問題

につながっていく。

 

それはとりあえずさておき、

大人として、子どものことを考えたとき、

譲れないことはたくさんある。

信頼関係を築いたうえで、

大人として、真剣に子どもと向き合うことの大切さを

今日、体感できたことに感謝しよう。