このシリーズは、学童保育に通い始めたのを機に、
「過去に起こったことのつながりが、自分のこれからの人生になる」
と思ったことから始まった。
書きはじめたときには、このシリーズの結末だけがあって、
そこに到達する過程を楽しみたいと思っていた。
結果的に、
「想定した結論までにはなかなか到達しない状況になっている」
なと感じている。
学校に関する知識や体験が、
- 社会的なニュース
- 本で読んだこと
- 元小学校の教諭、いまは中学校の図書館に通っている妻の話
- ドリマ先生として、自分で実際に小中学校に言った経験
しかない私が、学校について書くのはどうよ?
と言われそうだが、お構いなく、
これから何回か続けて、学校について考えてみたい。
まずは、2-3回に分けて、
最近読んだこのちょっと古い1996年に発行されたこの本
『現代日本文化論3 川合隼雄・灰谷健次郎共同編集 学校のゆくえ』
から、興味深い部分を引用することにしたい。
--- 引用(1) ----
同年齢のものが閉ざされた同一の場で、競合的な関係で、
一人の担任の先生という神ならぬ絶対者の監視の下に、
日々向き合わされる学級というものの異常さ、
そこから登校拒否とかいじめとかの問題も、
起こるべくして起こるのではないか。
子どもの生活の中で学校の占める割合が、
今ほど大きくなかったかつての日本では、
地域社会での友だちづきあいが、
年の違う子ども同士の関係をごく自然に形作っていた。
そこにはもちろん、別の形でのいじめや、
地域というもののもつ、非合理的でわずらわしい面も
確かにあったはずだ。
だが、大人を含めた年長者を「見習う」と同時に、
自分より年下のものの面倒をみることを通して、
そして何よりもまず、
生活のための作業を習い覚えることを通して
「一人前になる」ということの重い意味が、
生き方全般にわたるものとして、共有されていたであろう。
地域社会の生業上の共通性がなくなり、
価値観も多様化した今の社会に、いたずらに昔の、
あるいはアフリカなど異文化の社会の物差しを当てはめるのは、
いうまでもなく不当だ。
だが、学校や塾で子どもが過ごす時間が、
かつてとは比べ物にならないほど長くなった現在では、
同年齢者が競合的な関係の中に閉じ込められていることの重圧もまた、
かつてとは比較にならないほど大きいと思わなければならないだろう。
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ここに書かれている、
「子どもの、大人や、年上、年下の子どもたちとの関わりの大切さ」
は、私もその通りだと思っている。
私が通っている学童保育、そこは、この条件を満たしていて、
行き始めて感じたのは、
「ここに来ている子たちは代えがたい貴重な経験をしている」
ということ。
私個人はこんな体験をしている。
- 3rd Placeを体験し、居場所とした感じられれば、
- 1st Place(家庭)も2nd Place(職場)の雰囲気がよくなる
この体験からすれば、
「この子たちの家庭生活も学校生活も、きっとよくなるに違いない」
そう思えるのである。