信じて進む先にあるもの③ レールを外れない人生に気づく

一人ひとりが、それぞれの ”神さまとの約束” に気づき、

行動を起こすことで、「21世紀は輝く世紀になる」のである。

 

その "神さまとの約束" は潜在意識の中にある。

それに多くの人はなかなか気づけない。

 

なぜだろうか?

 

  • もの心ついたら、勉強というものをしなければいけなくなる。
  • そして横並びで比較される。
  • 本人自身の成長より、お友だちと比べて上か下かが問われる。
  • よい成績をとり、よい学校に行き、よい会社に勤めることが求められる。
  • それを外れると、落ちこぼれと言われる。

 

それらを乗り越えて、いい会社をそこそこの役職で定年退職する、

世間で言う "勝ち組” と言われる人は、

その後の人生をどう送るのか?

 

”勝ち組” は、いわゆる "終わった人" になる。

  • 自分のやりたいことは何だろう?
  • 自分の好きなことは何だろう?
  • 会社を離れた自分は何ができるんだろう?

その答えば見つからないので、お勤めを延長する。

それも、今の時代は65歳まで。

そのあとは、年金をもらいながら雑用的な仕事をするなりして、

いわゆる余生を過ごすことになる。

場合によっては、身体の調子が悪くなったりもする。

 

これは敷かれたレールを走ってきた人生。

私も、50歳までは、まさにこの通りだった。

それに気づいて行動を変えなければ、

60歳以降も、その延長線上でしか物事を考えられないし、

レールに乗ったまま進まざるを得ない。

 

私のは、このレールに乗ったままの人生が、

”神さまとの約束” を果たすための人生とは思えない。

なぜなら、そこには自分という者の意思が

あるようには思えないから。

 

ここで、話はすこし脱線する。

脱線はするけど、このストーリーに、

敷かれたレールの上を走るという根源があると思うから。

 

私は今現在、キッズクラブ戸倉というNPOがやっている

学童保育に通っている。

 

そこには、広汎性発達障害の小1の男の子が来ている。

接していると3歳くらいの感じに見える。

小学校に上がるとき、お母さんは相当悩んだそうだ。

最終的に、特別支援学級に入れることを決めたとき、

とても気持ちがすっきりして楽になったという。

そこでは、少人数で丁寧に看てもらえている。

 

同じマンションに同じような子どもを持つお母さんがいた。

そのお母さんは、特別支援学級に入れることを

どうしても受け入れられなかった。

その子は普通のクラスに行くことになったのだが、

5月にはもう学校に行けなくなったそうだ。

 

その子は、キッズクラブでも元気だ。

時々熱性けいれんがあったりするけど。

その子がいるおかげで、同級生も3年生も優しくなれる。

よく理解して面倒をみたりしている。

その子も、その子なりに世間にもまれて生きている。

 

お母さんは都心で大手企業に勤めている。

キッズクラブのおかげで、手がかかり、

心労の絶えない子どもから離れて、

ほんのわずかなお迎えまでのひとときに

息抜きも少ししているとのこと。

 

ほかの子と同じようにということではなく、

その子に合ったやり方を選択したことで、

子どもも親も、豊かに生きていける、

そんな感じがする。

 

一方、これは聞いた話だが、

この子と同じように手のかかかる子を

一人で。かいがいしく、至れり尽くせりの面倒をみている

専業主婦のお母さんがいる。

ある人がこのお母さんに言った。

「親は子どもより早く死ぬ。

一人では何もできない子に育ててどうするんだ。」

 

レールを敷いてやったりしない、

敷かれたレールを走るだけではない、

そんな人生を送ることが、本来の人生には必要なこと。

 

親は、べきやそうあってほしいではなく、

その子にとって何が必要なのかを最優先すること。

子どもは、ほかの子がどうだからではなく、

自分は何をしたいのかを考えること。

それが、やはり大事なのである。

 

これは、わが家も苦い体験があるからこそ、

今それをとても意識して書いている。

起こったことは変えられない、

それをどう生かしていけるか、

これが大事だと思って今生きている。

 

このあとは、

どうしたら、多くの人が敷かれたレールではない

自分の人生を生きることができるのか?

を考えていきたい。