認知症に学ぶこと② クリスティーンの場合

ここからは、ほぼすべてが、『ルポ 希望の人びと』(生井久美子)からの引用です。

普段忘れていること、気づかずにいることを、たくさんたくさん教えてもらいました。

よく知らないのに、思い込みからの知ったかぶり、決めつけをしてはいけないということを。

そして、どんな人にも尊厳というものがある、それを忘れてはいけないということを。

 

ここで大きく取り上げられているのは、クリスティーン・ブライデンという女性です。

 

クリスティーンは、1995年、46歳で、認知症と診断されました。
その後50歳で、結婚相談所で知り合った3つ歳上のポールと結婚。

2012年、診断から17年を経て、彼女の脳の状態(写真の右)は、とても話せるような状態ではないと言われていますが、しっかりと話をすることができています。

 

マーク・ベネット(クリスティーンの主治医)は、こう発言しています。

“ 障害者のパラリンピックは以前は考えられなかった。だが、障害を持ったことで、思わぬ底力を発揮する人がいる。それまで運動のエリートではなかった人たちで、すごいことをする人がいる。彼女は、それを「脳」でしているのではないか。クリスティーンに出会って、アルツハイマーと診断した人にも、「人生は終わりではない。よい支援があれば、強い意志があれば、クリスティーンのように暮らせる可能性がある」と、希望を伝えられるようになりました。”

 

クリスティーンが、20年間もしっかりしていられるのは、夫のポールのおかげでもあります。
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アルツハイマーと分かっていて、なぜクリスティーンと結婚したのですか?
ポールに何度か尋ねた。


“ 彼女は美しく、知的で本当にステキな人だということです。例えば、片足のない人がいるとして、その人の「足がない、ない」とそこばかり見ないでしょう。クリスティーンの「ある」ところを見る。あったときは、父のこともあって、アルツハイマーのイメージはとても重苦しく、高齢者のことだと思っていた。でも、違った。クリスティーンは、あんなにステキだった。”
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そんなポールを、クリステーンは、支援者でもなく、ケアする人でもなく、Enablerと呼びます。

Enablingとは、
  X  ケアを与ええること
  X  私がやれることを代わりにやってくれること
  X  ケアの対象物
  〇 できなくなってしまったことではなく、まだできることに着目
  〇 日々小さな達成感を得られるよう支援する

 

実は、私はこの後『伝記ヘレン・ケラー』(村岡花子)を読んだのですが、ヘレン・ケラーにとってのEnablerとは、まさに、アニー・サリバン先生なのだと思いました。


以下は、印象的なクリスティーンの言葉やストーリーです。

 

私は認知症の患者である前に、一人の人間です。

 

私がなぜ、日常生活をおくるのに、これだけ苦労するか。

それなのに、思い出せずに苦労していると、

「私にもよくあることよ」

と、なぜ言うのでしょう?

がんの人に「実は私も~」と言いますか?

なぜ認知症の場合だけ、病気と闘い、懸命に生きようとする努力に敬意を払わないのでしょうか?

 

認知症はコミュニケーションの障害と言ってもいい。そのために、心ならずも起こす行動がある。壇上の画面に、マーティン・ルーサー・キングの言葉が映し出された。

「暴力は、声なき人々の言葉である」 " A riot is the language of the unheard."

「コミュニケーション能力が失われてしまう私たち(認知症の人)にとって、このキング牧師の言葉は大いに共感できます」

 

「パスカルの賭け」ですか?とクリスティーンに尋ねたことがある。

するとクリスティーンは、

「その話を最近、ポールとしたのよ、不思議ね」

と驚いた。

「病気は変えられない。でも自分は変えられる。人生に起きることは10%、どう対応するかが90%。その対応が人生を決める」

二人はよくこう話す。

 

※パスカルの賭け:

神は「いるかいないか」、天国は「あるかないか」について、パスカルは「ある」方に賭けた方が得だと考えた。「神はいない、天国なない」と思って祈っていなくて、実は天国があると、天国には入れない。一方、天国があると思って祈ったが、実はなかったとしても別に困らない。だから、天国は「ある」という考えに掛ける。

 

その後も、クリスティーンはさらに2冊の著書を出版し、2017年春には日本でも出版予定。診断から20年を過ぎ、こう語っています。

「私はまだここにいて、認知症の原因になる百以上の病気が完治するのを待ちながら、輝いて生きていこうと思う」