今日出会った虫たちのようにいかない自分がいるな!
そう感じています。
銀行に用事があって行くと、かなり待つことになりました。
そろそろ順番というときに、突然携帯が鳴り、それは母からでした。訳がわかっていない電話でした。そこには落胆した自分がいました。
心がざわつくこんな時は、歩くのがいつもの私のパターンです。
ただ歩くだけでなく、ファインダーを覗くと、そこには自然の小さな命の美しさがあるので、心がすっとするのです。
そんなに撮るものはないだろうと思いながら、いつもたくさん撮ることになるのです。
たくさんの新たな発見があるからで、今回もそうでした。
家に帰ってから、花の名前を、ネット検索しながら探してみました。それが、なかなかうまくいかないんです。長い時間をかけて、名前がわかったのはこんな花たち。
もともと知っていたのは、ドクダミ(画像なし)だけ。画像は付けていませんが、スイカズラの花もわかりました。
ツツジ並木にこんなきれいな花が、たわわに咲いていました。カルミアです。
玉川上水の頭上にたくさん咲いていて、散り始めているのは(ヒメ)ウツギ。
道端にあるのは、変わった形のナワシロイチゴ。
かなり時間かけても、結局これだけしかわからなかったのでした。
他にも、よく見ると面白い、こんなにいい感じの花や実があります。大きく写っているけど、とっても小さいんです。
純白の花。
どんな花が咲くんでしょう。
何も予定はない日でも、習慣にしていること、今日やりたいと思っていることがたくさんあります。それができていないと、気が焦るんですね。別にしなくても、何の問題のないことがほとんどなのに。性分と言えば性分。
これもまた、何かを期待しているのかもしれませんし、やることがやるべきことになっているのかもしれません。
散歩して写真を撮っているときは、何も考えなくて済みます。
最近、被写体をさらに良く見て感じて知るために、名前を調べようとしています。見つかるととっても嬉しいのですが、見つからずに時間が過ぎていくと、なんだか無駄な時間を過ごしている感じになります。
見つかってもいいし、見つからなくてもいいと思えれば、見つかったものだけに目が向くはずですね。
先ほど、お風呂から出てきたのですが、今日もまたいいお風呂でした。
母のことも、やはり何かを期待するから、そうならないと落胆もすればイライラして接しがちになります。
グループハウスで楽しく生活していると、認知症もよくなるかもしれないし、そんな気がしないでもないなと、虫のいいことを思っていたので、母がいきなり話したことはかなりショックだったのでした。
お風呂で、今の私があるのは、「何も期待しないで、できることをする」から始まったことを思い出しました。
母については、できるだけのことは今回したのだから、あとは天に委ねるだけ、期待せず、母を信じて感謝して、尊重して接していくほかない、そういうことなんだと思います。
最初にブログに書こう思ったのとちょっと変わってきましたが、こういうことも、歩いて、撮って、お風呂に浸かったおかげです。
今ここに心を込めて!