人生の師とは?

3泊4日で帰省していました。家の片づけのための業者の作業開始に立ち合い、鍵を預けるためです。家内の実家に泊まりながら、グループホームの母に面会し、業者とも会いました。事は順調に進んでいます。

 

母は、基本的には変わりなく元気でした。

少し気になることはあるのですが。それはまたこれからです。

母は、ここは楽しいし、すごくよくしてくれる、料理などいろんなお手伝いもできる、食事もおいしい、....とすごく満足していることを言っています。

これまでのストレスから解放され、毎日自分の好きなような振る舞いができるから、それでいいのだと思います。

 

そうはいっても、グループホームなので入居しているのは、認知症の人たちです。母は、当然自分では認知症だとは思っていません。あったこと話したことを忘れる以外は、ほとんどはっきりはしています。母から言わせると、4人ほど、じっと座って何もしゃべらない人がいる、残りの4人は話やお手伝いができるとのことです。

だったら、毎日が楽しいと言っても、限界はあるなだろうなと私は感じました。

 

そんな状況でも、母は、しゃべらないでずっとじっとしている人にも声掛けをしていて、自分が話すと答えてくれると言っています。

ここは、親戚の家からも近いし、実家の近所の人もみんな会いに来てくれたということでした。

ホームのスタッフの方はみんないい人なので、そうやって毎日を過ごすことができれば、この状況になった今では、ベストなんだろうと改めて思います。

 

そんな時間を過ごしたあと、帰りの新幹線で、自分の現実のことを少し考えていました。

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繰り返しになる七赤金星の運勢は、

  • 予想を超える新たな動きがスタート
  • 師に出会い、師に随って怪物に成長する

というすごいことが表現されていて、やはりそれが拠りどころとなっているので、そのことをどうしても考えてしまうわけです。

 

自分で行動しながら、新たな動きを感じています。

それが予想を超えるかどうかは別として、新たな展開がないと困るわけです。

 

一方、師との出会いとは何か?

これは見当がつきません。

 

師と思ったときに、浮かんでくるのが、誰もが認めるすごい人です。

そんな人と出会うのでしょうか?

もう出会っているのかもしれませんが、何かが起こる気配は感じられていません。

当然、自分だけが認める師というのもありますが、これもピンときていません。

或いは、直接お会いすることはなくても、伝記に接したり、本で読んだりして信奉するような師かもしれません。

 

もしかすると、そういった大人ではなくて、素の生き方をしている子ども(たち)かもしれません。これについては、予感はないでもありません。

 

今回の母への関わりのような、出来事や人生体験かもしれません。

 

さらに言うと、人ではなく、自然や自然にあるものかもしれません。

 

一つではなく、一人ではなく、それら諸々かもしれません。

 

何かはきっとやってくると信じています。

やってきたときに、気づいて捕まえよう!

さてどうなるかな?