私の母は、グループホーム入居して2日、とっても楽しく過ごしています。
母は、社交的で、世話好きで、小さいお店を一人で切り盛りしてきました。
膝が痛くて歩くのに難儀をするけれど、お酒は飲まない(飲めない)し、贅沢な食事もしていない、膝が悪くてもじっとしていられなくてよく動き回る、そんな母がどうして認知症になったのでしょう? 不思議でならなかったのです。
近所には、同年代の高齢者が何人もいて、中には家にずっと引きこもって、あまり体も動かなくなった人もいますが、私の知っている限り、認知症の人はほとんどいません。
どうして、うちの母が認知症なんでしょう?
不思議に思っていました。周りの人も不思議に思っています。
ここ3週間くらいは、これまで以上に母に接し、何年も書き続けた母の日記も全部読みました。
その結果、私は、母が社交的で、人の世話を焼くのが三度の飯よりも好きだということが、認知症を引き起こした理由だろうと思うようになりました。
現在は、人のお世話にならないと全然生活できないという現実がある一方、母は、自分が周りの人のお世話をしていると、信じて疑っていません。母の言動はそうなんです。
最近Facebookに、認知症の母はすぐに忘れるので、過去でもなく未来でもなく、今を生きていると書きましたが、そうではないと今は思っています。母は、過去を生きているのだと思います。5年前とか10年前にやっていたことを、今やっている、できていると言っているのです。
母の口癖や、日記に毎日のように書かれていたことは、
・膝が痛くてつらい
・お客が来なくて、物も売れない
・人通りもほとんどなく、つまらない町になってしまった
膝が楽になった気がするとか、思ったように売れたとかいう表現はありますが、基本的には、このようなネガティブなことだらけです。
ひとりでいると、そんなことばかりを考えて独り言を言っています。人と話をするときも、つい愚痴が出ます。
自分がやってきた、できていたことが、できなくなっている。
それは、膝のせいであり環境のせいなんだ、自分にはできるのに。
そんな感じなのです。
できていたがゆえに、できない自分を認めたくないという無意識が働いている気がします。
人の顔は確実に認識できています。
短期記憶がなく、現実と過去の区別がなくなっているのです。
長い人生を社交的に過ごし、人の世話を傍迷惑なくらい焼き続けたからこそ、そのギャップに我慢できず、ひとりでいる時間が長くなるにつれ、どんどん過去と現在が混在化していったのではないかと思えるのです。
私としては、そんなことにも気づかず、生きがいのお店をできるだけ続けていけるようにと思っていました。お客さんと話をしている時が、本当に楽しそうだったんです。
しかし、それは、きちんと現実を見ていなかったことになります。
過去を悔やんでも仕方がないので、遅ればせながらも今、グループホームに入り、わずか2日とはいえ、楽しい毎日を過ごすことができていることに感謝しています。今朝面会したときも、これからの生活に何の心配もいらない、そう感じました。
これからは、ひとりっきりになることがほとんどなく、毎日をみんなと楽しく過ごすことができるのです。また、お店の心配もいりません。ネガティブになる暇がないのです。日々をポジティブに過ごしていければ、過去を生きていた母も、今を生きることができるようになるのではないか! 認知症もよくなる可能性もあるぞ!と、今は思っています。
こういう状況に至ったこと、感謝です。
ありがとうございます。