母の日記に思う

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今日、グループホームの主治医の確認が取れて、田舎の母のグループホームの入所が正式に決まりました。来週13日に契約、16日に入所の運びです。

4月29日に訪問したときに、たまたま空きがあり、すごいスピードでの入所となります。そのため、これまでFacebookには書いてきましたが、3週続けて毎週岩国に帰省することになります。

 

今週の帰省は嫁・妹の協力を得て、お店がらみでかなり頭の痛い問題が、解決とはいかないまでも対応方法がクリアになり、ホッとしています。

 

そのおかげというか、状況把握のためにあちこちの引き出しを開けてみると、いろんなものが出てきました。そのうちの一つが、母の日記です。お店の仕入や売上の帳面のほかに、5冊ありました。1日に2-3行、多くても5行くらいです。

それを、帰りの新幹線で全部読みました。ほぼ同じことの繰り返しなので、けっこう流し気味に読んだのですが、広島で座ってから延々読み続け、東京に着く直前に、何とか読み切ることができました。4時間近くかかったことになります。

 

これを読むと、母にとっては、「立岡商店」という小さなお店をやることが、本当に好きだった、生きがいだったんだなということが、これまで以上に感じられます。毎日、家族の心配とお店のことが書かれていました。

本当にここまでよくやってきた母の人生です。

 

平成18年(2006年)4月1日に日記はスタートしています。

書き出しは、”最近膝が痛くつらい、かかりつけの整形外科に行った”というような内容ですが、日記を始めるような特別なことは書かれていません。

  • 日記は昔から書いていたのだろうか?
  • この日から書き始めたのだろうか?
  • そうだとすると、どんな心境で始めたのだろうか?

そんなことを思います。

 

私のおじいちゃんは、私が高校に入った直後に64歳で亡くなりました。1973年だと思います。そのあと、母はおばあちゃんと二人で、今のお店を切り盛りしてきました。

とてもしっかりしてきっぷのいいおばあちゃんで、私はとってもかわいがってもらいましたが、最後は大変だったようです。その状況は、ドイツに行っていたのでよくわからないのです。1994年ころに施設で亡くなっています。

父は婿養子でしたが、会社を定年退職したのが1992年だと思います。その後は、お店を手伝ったりしていましたが、その後すぐにパーキンソン病を発症しました。

 

母にとっては、1990年のはじめから、おばあちゃんの介護、そのあとは父の病気とのお付き合いということになります。ずっとお店をやりながらです。

 

この日記がスタートした2006年は、私の息子が中学校に入って、ややこしくなっていく時期に一致しています。母にとっては、そのころにはすでに膝に痛みがあり、父のパーキンソン病が進行して、介護が大変だった時期に当たります。

父の国立病院への入院・退院、原因不明の発熱や異常行動などがあり、母は、痛い膝とお店をしながらの介護でした。父は2007年になって再度入院、そして、看取り看護の施設に入ることになって、やっと母の重荷が下りることになります。

父がいた頃の日記は、数日に1回でしたが、この時期から、ほぼ毎日になります。

それまでは、毎日書ける状況ではなかったのでしょう。一人になってからは、日記が支えになったのかもしれません。

 

今から考えると、もう10年以上、母は一人暮らしをしていることになります。

父がその施設で他界するのが2013年の11月なので、その後の4年半は、気持ちの上でもひとり暮らしになったのでしょう。

そんな母の支えは、お店に来てくれる人たちでした。

 

しかし、地域の高齢化が進み、住む人がどんどん少なくなり、近くにあった国立病院も移転して人通りも少なくなり、町はどんどん寂れていきます。とってもはやっていたお店も、売り上げが減ってきて、お客も少なくなり続けています。他のお店は、全部なくなりました。

 

ここ2-3年の日記には、ほぼ毎日、膝が痛いということ、お店を頑張らねばということが書かれるようになりました。どうもそのころから、物忘れが進んできて、今ではほとんど覚えていない状態になっているのです。

日記は、平成26年(2014年)6月に終わっています。

8年以上も、毎日のように書いてきたんです。

 

今も母はとってもしっかりしていて、前後関係がなければ、普通に会話ができます。

しかし、やったこと、起こったことをほぼ100%覚えていません。そして過去と現在を混同している感じになっています。認知症というのはピンときませんが、どうみても、ひとりで生活ができる状況ではなくなってきています。

 

これまで放っておいたのは、私や妹の問題ではありますが、生きがいであるお店を少しでも長く続けられるようにと考えていました。しかし、今年に入って、お店も続けられない諸事情が見えてきて、なんとか施設を確保しようと動きました。ありえないくらい幸いにも、おかげさまで最短での入居が決まりました。

 

終わりごろの母の日記には、膝の痛みと、お店が暇で人が来ない、イライラするということが日々書かれています。実際、悪循環になっていて、最近は私が見ても、ほとんどの時間を一人で過ごすようになっています。

膝が痛いのに、とにかくじっとしていることができない母です。そんな母が、誰とも話さずじっとしているのは、さぞかし辛かったでしょう。人一倍のおしゃべりと、人の世話の好きな母です。だから、特にここ1-2年は、寂しい毎日を過ごしていたんだなと思います。

 

人のお世話をしてきた母だからこそ、周りの人が良くしてくれています。とってもありがたいことです。

 

今回入ることになったグループホームは、私と妹が見た4つの中で、一番アットホームなところでした。地域包括支援センターの人も、とってもいいと言ってくれています。よくしてくれる親戚の人の住んでいるところからすぐのところにあります。年金で賄える料金です。本当にこれ以上はないというところなんです。

 

同じことを何度も聞かれて、わかってはいながらイライラして、声を荒げたりする私がいます。それでも、母にはとっても感謝しています。そして今回この日記を読むと、母には感謝以外にはないと思います。

 

ありがとうございます。

これからは、ひとりで寂しくする暇もないくらい、毎日が楽しくなると思います。初めてのデイサービスのお試しが、とっても楽しかったということを聞いたからでもあります。

とってもいい施設に入ることができます。

私も含めて周りの人も安心ですが、きっと本人にとっても幸せな毎日になると信じています。

 

感謝!感謝!感謝!